「もしもし、あ、剣太郎どうしたの?…そう、分かった」
ある日、佐伯の元に剣太郎から一本の電話が入った。剣太郎の心なしか、慌てたりした様子に佐伯は何か重要な事なのだろうと感じた。剣太郎の声に少し鼻声が混じっていて、泣いていることが分かった。
理由も分からなかった佐伯だが、電話の内容を聞いた時、全ての疑問が解けた。
ああ、そうか、と。
剣太郎は元々正義感の強く、人情に厚い人柄である。まとめて言えば、まるっきりの良い人属性なのだ。
例え、あまり親しくしていなかったとしても、少しでも面識のある者の不幸であればまるで自分の事のように悲しむ。
それが剣太郎の人から好かれる原因であった。誰からにでも好感を持たれた。
その剣太郎が、電話をしてきた理由は、訃報であった。その名前を聞いた時、佐伯の体に妙な寒気が襲った。
「千石と、忍足が…」
佐伯自身、そう親しくした事は無かったが、テニスの大会やジュニア選抜合宿時に何度か会話を交わし、顔を合わせれば軽い挨拶をする程度ではあった。
その、千石と忍足が一挙に亡くなったという。
剣太郎の話によると、跡部から知らせが来たと言う。
死因、といえば嫌な言い方だが原因などは全くといっていいほど触れられなかったらしい。
佐伯は二人の事を思い返してみた。二人とも、ジュニア選抜では選抜メンバーとして、日本チームに多大な貢献をしていた事は今でも脳裏に焼きついている。
剣太郎や、その他のメンバーに聞いてみると、皆葬式には参加すると言う。佐伯自身も明後日の葬式に、東京に出る準備をした。
しかし、佐伯の思考を占めていたのは、全く別の事だった。
佐伯は、東京で行動を起こすつもりだった。いつまでも千葉で事件を起こしていてはいくらぬかりはないと言ってもいつか自分に疑いが掛けられても仕方がない状況にはなる事もあるだろう。いずれにせよ、佐伯は千葉以外にも足を伸ばす事を決めていた。
千葉県内では人数にも問題が出てきた。もっと無差別に手を付けられる状態が欲しかった。
その為に格好の場所となるのは何と言っても東京に他ない。佐伯は脳内でスケジュールを立てていた。
* * *
明後日。
その朝、佐伯は鏡の前に立ち、喪服のネクタイをチェックしていた。本来、学生であれば葬式は制服参加が出来る。
しかし、親がもう高校生だから、と貸してくれたものだった。これは佐伯自身にも都合が良かった。制服ではいざという時に身元が割れてしまう恐れがある。
「じゃあ、行ってくるよ」
「あ、虎次郎。ちょっと待って」
「姉さん…」
佐伯の姉が佐伯を呼び止める。手招きをする姉の方へ佐伯は向かった。
洗面所に連れて行かれた佐伯は姉にいきなり髪を触られた。
「何だい、姉さん」
「ちゃんとした所に行くんだから、髪の毛くらいセットしていきなさい。ほら、お父さんの借りてきたから」
「パーティーに行くんじゃないんだけどな」
「お友達のお葬式なんでしょ?お葬式だって良い男が来た方が喜ぶわ」
言っている事はいつも滅茶苦茶な姉だが、妙に説得力がある言い方に毎度丸め込まれてしまう。
佐伯は、鼻歌を歌いながら少し楽しそうに佐伯の髪を弄る姉を見た。楽しそうと言うと不謹慎かもしれないが、この姉は別に葬式云々に何かを思っているのではなく、佐伯の髪を弄るのが楽しいのだろう。その証拠に「もう少しで良い男が出来るからねー」と度々話しかけてきた。
「終わった?」
「うん、これで良しっと、じゃあ行ってらっしゃい」
「行ってきます」
佐伯は家を出た。
実はこれも佐伯にとっては都合の良いことであった。
佐伯も、葬式が終わればその足で適当にコンビにあたりで髪の毛をセットしたりする道具を買い、ある程度装う心づもりであった。
佐伯は内心、今日はツイてる、と機嫌が良かった。
駅につくと、皆が既に待っていた。
「悪いな、姉さんに捕まってさ」
「まぁ、良く決まってるぜ」
そう言ったのは黒羽だった。佐伯はそれを「そうかい?」と軽く受け流した。
そして電車に乗る。
* * *
「ここか」
「ん?六角か?」
誰かがそう行って近づいて来た。跡部である。
跡部は表情こそいつもと変わらないが、明らかに落ち込んでいるような感じは隠しきれていなかった。
それもそのはずである。跡部は忍足とも千石とも佐伯よりはるかに親しい仲であったのだから。
「今回は、気の毒だったな」
佐伯は心底残念そうに跡部に言った。跡部はため息とも同意とも取れる息をついた。そして「全くだ」と言った。
その様子は、まるで「余計な手間を掛けさせて」というように見せていたが本心がそうでない事は誰にでも分かった。
「ここの廊下を左に曲がった奥の部屋にあいつらがいる。行ってやってくれるとあいつらも喜ぶ」
「分かった」
「ここは随分と広いんだな、葬式をやるとは思えないな」
「俺ん家の所有地だからな」
「跡部は余程良い奴らしい」
「まあな。俺は他の所にも用事があるから行くぜ」
そう言って跡部は去った。佐伯は他のメンバーに「先にちょっと行ってくる」と言って一人で忍足と千石のいる部屋に歩いた。
ガチャリとドアノブを回して中に入ると、白い部屋に二つの棺桶があった。その周りには沢山の花が添えられていて、大勢の人々が訪れたことを表していた。
佐伯はそこに近寄る。
二人ともまるで眠ったようで、微かに笑みを浮かべているようにも見える。
佐伯は忍足の腕の中に抱かれている何かに目を向けた。人形のようだ。
所々傷んでいるが、忍足は大事そうにそれを抱えていた。佐伯は何故忍足が人形を抱いているのか不思議に思い、しばらくの間視線を逸らせなかった。
「そいつはな、忍足が好きだった女だ」
いきなり、誰かが言った。佐伯がドアの方に視線を向ければ、そこに立っていたのは宍戸だった。
「女…?」
「そう、女だ。人形じゃねーんだよ、忍足の中ではな」
「どういう事だい?それじゃまるで忍足は人形に恋慕していたみたいな言い方「そうなんだよ」
「は…?」
「忍足はそいつを本当に恋人だと思い込んで、ずっと世話をしてた。そいつの世話をするのは自分しかいない、だから自分はそいつの物だし、そいつは自分の物だってな」
佐伯は目を見開く。
足が震え、手が自分意思と反する方に動きそうになる。そう、佐伯の腕は忍足から人形を取り上げようとしていた。
頭が醜い感情に侵され、こんなはずじゃない、こんなことはしたくないと悲鳴を上げる。
宍戸が佐伯の腕を掴んだ。
「こいつから、人形を、恋人を奪わないでくれ。親を忘れて、世界を忘れて、一人になって、おかしくなってまで手に入れたやつなんだ」
「……すまない。別にそういうつもりじゃなかったんだ。ちょっと気分が悪いから外に出るよ。六角の皆に会ったらそう伝えてくれ」
佐伯は宍戸をその場に残して、外に出た。
* * *
佐伯は一人、人気のない公園のブランコに腰掛けていた。
ボーっと空を見る。空は青く、わざと佐伯を照らしているとでも言うかのように太陽が照っていた。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
一人遊んでいた小さな少女が心配そうに佐伯に話しかけた。佐伯は、「何でもないよ」と笑いかける。それでも少女は心配そうに佐伯の顔色を伺う。
佐伯は少女の頭を撫でる。優しく、その頭を撫でた。
「君は優しいんだね」と言うと、少女は褒められて嬉しそうに笑った。
「お兄さんと、遊ぶ?」
「うん!」
佐伯はその少女の服のシャツのボタンに手を伸ばす。しかし、手が震えてよく動かない。
何度力を入れてみても、どうしてもボタンに手を掛けられない。「畜生…っ」と佐伯はうな垂れた。
少女はまた佐伯を心配そうに見ると、「体が悪いの…?」と問いかけた。佐伯は顔を上げないまま、答える。
「お兄さんはね、悪いことをしたんだよ」
「悪いこと…?お母さんに怒られちゃったの?」
「怒られてないよ。だからね、悪い子なんだよ。どうすればいいかなぁ」
「悪いことをしたらね、謝らなきゃいけないってお母さんが言ってたよ」
「そっか」
「だから、お兄ちゃんも謝らなきゃいけないんだよ」
「謝ったら、君は俺のこと、許してくれる…?」
「許してあげるよ。お母さんね、ちゃんと謝ったら、許してあげなさいって言ってた!」
「ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい」
「お兄ちゃん顔上げて?許してあげるから、遊ぼう?」
「遊ぼうか」
「うん!」
やがて日がくれ、少女は「おうちに帰らないと」と言った。佐伯は「そっか、気をつけるんだよ」と笑って見送ろうとする。
公園を出た少女が、忘れ物でもしたかのように走って戻ってきた。
「わたしね、大きくなったらお兄ちゃんと結婚する!」
「そっかそしたら君が大きくなったら君のお父さんに娘さんを僕に下さいって言わないとね」
「うん!わたしのこと、お兄ちゃんにあげるんだよ」
「じゃあ、早く大きくなるんだよ」
「うん、バイバイお兄ちゃん!」
「バイバイ」