結局、忍足が何が言いたかったのか、慈郎は中々理解する事は出来なかった。忍足は自分のようにはなって欲しくないと言った。自分のように。
では、忍足のようにとはどのようなことなのか。
慈郎が見ていた忍足は、大人びていてそれでも同年代から好かれていた存在だった。慈郎も忍足の性格は好ましいものを感じた。忍足は世渡りというものが上手い。
そんな忍足と同じ匂いがする、と言っていたが慈郎は自分自身、世渡りが上手いとも思えなかったし、寧ろ忍足は慈郎にとってその才能を妬ましくさえ思える人物でもあった。
天才と言われ、外から来たのにも関わらずすぐに馴染み好かれた。
慈郎は分からなかった。考えている内にいつの間にか全国大会は始まり、氷帝は全国大会の決勝戦へと駒を進めていた。
立海が初戦敗退という事実には驚かされたが、聞けば何故か1年生全員が大会をボイコットしたのだという。幸村達がいなければ確かに今年立海が勝ち進む事は難しいかもしれない。
慈郎は焦る事なく、普通に楽しんでテニスの試合を終える事が出来た。
全国大会の幕を閉じたその日、1年生のメンバーは中等部の日吉、長太郎、樺地を加えて打ち上げをする事を決めた。
忍足は用事があるから、と帰ることにした。
忍足が部室から出るとき、打ち上げに参加しようかしまいか戸惑っていた慈郎に意味有り気に笑いかけたきり何も言わなかった。
慈郎は、忍足に“自分のようにならないでくれ”の言葉の意味を尋ねることはついぞ出来なかった。
その後すぐだった。
忍足がテニス部をやめたのは。
* * *
「忍足が、学校、やめた…?」
「…そうらしいぜ。侑士のやつ、何考えてんだ…」
岳人に言われた言葉は慈郎にとてつもない衝撃を与えた。慈郎は思わず持っていたシャープペンシルを取り落とした。
忍足が学校をやめる理由がどこにあったのだろうか。誰に聞いても誰も分からないだろう。
一に、忍足は成績面に微塵も問題はなかった。勿論、学習面でも運動面でもだ。恐らく学年の上位に入るであろう事は間違いない。
二に、いじめ等の問題もない。忍足はいじめを受けるような柄でもない。それに加え、友人関係にもつれがあるようにも見えない。
三に、家庭環境。表面上、父は大学病院に勤める医者、母も穏やかな人で姉も母似の女性であるようだ。虐待を受けていた様子は見られない。
岳人は慈郎に今日忍足の住んでいるらしい所に行くと教えてくれた。
慈郎はこの日は何故か全く迷うことなく行く事に決めた。
「ここか…」
跡部は1つの家屋を見上げて呟いた。
チャイムを跡部が押すと、中から忍足が現れた。最後に見たより少し、痩せたようだ。
慈郎は何も言わずに促されるままに家の中に入った。
忍足は飲み物を用意するから、と全員をある部屋に入れた。入った瞬間、全員が何も言えなくなった。
光を持たない人形の目が恐る恐る人形に近寄った慈郎の目を捕らえた。
慈郎の足が竦み、その場に根を張ったように動けなくなる。これが、忍足の末路。
慈郎は即座に理解してしまった。
忍足の“自分みたいに”の“自分”とはこの事だったのだと。慈郎の心には何よりも初めに恐怖の念がふつふつと浮かび上がってきた。
竦んだ足がプルプルと震える。
まるで人形が慈郎の頭の頂点から爪先をジロジロと見ているように感じた。その度に身の気がよだつ感覚がした。
慈郎はその場にいるだけで、何も話さなかった。跡部達がそろそろ帰ると言い始めたのでそれに従った。
客人を見送る忍足の笑顔は俗な全てが抜け落ちたようだった。
* * *
慈郎は全員と別れ、秘密に忍足の家に走って戻った。
慈郎は忍足の家のドアを力任せに叩いた。チャイムを鳴らす事さえ忘れていた。
中から慌てて忍足が出てきた。
「どないんしたんジロー?そないに慌てて」
「お前っ…学校で自分みたいになるなって言ったよな!」
「俺みたいに…?学校で…?何の事や?」
忍足は首を傾げながら不思議そうに言った。慈郎はそんな事は何も気にしなかった。
「分かんないの…?でも構わないっ!これだけは言っておきたいんだ!俺っ、お前が頑張ったの知ってるから!忍足のテニス、すっげそんけーしてるし!だから、後は俺と、それに跡部とか、岳人もいるし、皆に任せてくれてEーから!」
「……話の流れはよう分からんのやけど、そやけど、自分が俺のために言うてくれてんのはよう分かったで。ありがとなジロー。んー、もう遅いし暗うなってきたから帰った方がええで」
「うん、そだね。じゃあ、またね!」