「ねえ柳生、仁王。少し、来て欲しいんだけど」
それから二ヶ月程後。高校テニスの全国大会初戦は明日へと迫っていた。テニス部の練習も気合、というより緊張感が張り詰めていた。
一足先に2、3年が帰宅した立海男子テニス部の部室では1年生が着替えで残っていた。
その中、初めに着替えをすませた幸村が有無を言わせない威厳でまだほとんど着替えを終えていないにも関わらず柳生と仁王を呼んだ。
「何ですか?明日のオーダーの事でしょうか」
「違うな」
「じゃあ何なん?」
「いつ、発つの?」
その言葉に柳生と仁王は動きを止める。驚きを隠さなかったのは隠せなかったのではなく、もはや隠す必要もなかったという事だ。
幸村は口調は変えないままも視線を鋭くするだけで答えを急かす。
「そう、おっしゃるということは大体の目星はついていらっしゃるのでしょう?」
「まあ、蓮二に色々調べてもらったからね」
「だったらどうするんじゃ。俺達を責めるんか?」
仁王がまるで喧嘩腰になったかのような態度を取る。仁王の纏う雰囲気にブン太やジャッカルが少したじろいだ。
幸村は肩をすくめ、鋭かった視線を穏やかなものに戻した。
「別に責めているわけじゃないんだ」と弁解をすると、くつろぐように部室のパイプ椅子に腰掛けた。それを柳生と仁王は何も言うことなく早く用件を済ませてくれと言わんばかりに立って見ていた。
「知った所で止めるつもりもないもないさ。で、いつなの?」
「…明日、ですが」
「そう。随分貯めたんだね」
「幸村君はどこまでも知っているようで頭が上がりませんよ。幸村君に隠し事をしようなど考えるだけ無駄な事が学べました」
「まあね。俺の方も柳生と仁王はいきなり何をしでかすか分からないってことが分かったよ」
幸村は声を立てて笑った。
「千石に言われたんじゃ」
「千石、ってあの千石清純?」
「そうじゃ。アイツは俺達が裏のアルバイトをする最後の日、まあ一昨日じゃったけど、俺達に言いよった。“俺にはやらなきゃいけないことがあるんだ。その為には何だってするし、その時が来てやろうと思えばいつだってやってやる”ってな。俺達にはその時が来たんじゃ」
「そう」
気付けば部室の中は静まり返っていた。その場にいた全員が幸村、柳生、そして仁王の方だけを見つめていた。
幸村はその視線を全く気にしていないようだった。いつの間にか下校時間がすぐに迫っていた。
「そろそろ皆帰ろうか」
幸村の掛け声に全員何か言いたそうだったが、大人しく下校をした。
幸村は柳生と仁王に何か言ったりはしなかった。
* * *
「中学で会った時は気づかんかったなあ」
「どうしたんですいきなり」
夏とはいえもう明るくはない時間帯。帰り道を柳生と仁王は二人で歩いていた。
仁王は何気なくうっすらと星の出ている夜空を見上げて言った。
「中学でゴルフ部にいる柳生を見たときなーんか懐かしいと思ったんじゃけど、まさか本当にあの“比呂士”やったとは思わんかったんじゃ」
「それは私もですよ」
「あの頃柳生はそんな紳士でもなかったし“僕”じゃったもんな」
「仁王君の話し方は今でも思い出せませんよ」
「小学校の時は親に引き離されとったもん」
「まああれだけベタベタしていたら異常だとは思われますよ。いくら幼馴染だったとはいえ、あのようにいちゃついていたら親同士もあまり子供に良いとは思わないでしょう」
仁王は何も言わなかった。夜空に向けていた視線を柳生の横顔に移す。柳生の横顔から眼鏡の隙間に見えた瞳が仁王を捕らえた。
柳生は顔を仁王の方に向ける。
柳生の手が仁王の手に伸びると仁王がバッと手を避けた。
それに柳生は声を立てずに笑った。
「今更、恥ずかしがる問題でもないでしょう。それ以上のことをしたこともあるんですし、明日からはずっと一緒なんですから」
「んな事改めて言わんでもええっちゅうの」
「照れてるんですね。昔は手なんて繋がない時は無かったのに」
仁王は逸らした目をゆっくりと柳生の顔へと戻す。柳生の目に視線が絡み取られる。
手を引っ張られたかと思えば、腰を抱き寄せられた。仁王はよろけ、柳生の方へつんのめる。
その瞬間、唇に暖かい感触が触れた。
「明日からは、ずっと一緒です」
「ん…」
* * *
空港。柳生と仁王はアメリカ行きの飛行機を待っていた。大分早く着いてしまったようだ。
お互い浮かれすぎた、と笑い合いながら、椅子に腰掛けていた。
今頃はもう立海の試合が始まっているんだろう。申し訳ない、とは思わないことも無かったが、罪悪感は不思議とあまり無かった。
昨日、幸村に事実を言い当てられたからだろうか。
すると遠くから聞きなれた声がした。
「柳生ー!仁王ー!」
ブン太が一番に走ってくる。
柳生と仁王はこれには驚かずにいられなかった。驚きのあまり、声も出ないとはまさにこのことだろう。
何故、今は試合に出ているはずの仲間達がここに来ているのか。
幸村を始め、赤也まで、きっちりと揃っていた。
「どうして、ここに……試合はどうしたんですか」
「ん?ふけてきた」
「まだ初戦なのに…!」
ふけてきた、という幸村に全く悪びれた様子はない。すがすがしいほどだ。幸村はどうでもいい、というように説明を始める。
「そりゃあ3年生の先輩には悪いと思うけどさ、俺達にとってはそんな事より大事な事があったわけ」
「幸村…」
「そっすよ!先輩達がいないのに俺だって応援に行く意味ないっす!」
赤也がしゃしゃり出て言った。
真田が柳生と仁王の前に立つ。
「柳生、仁王。例え今年先輩方が負けたとしても来年は俺達がいるのだから負けない。お前達が欠けていても、だ。お前達がその場にいなくとも立海の仲間だ、とさえお前達が思っていてくれれば俺達は立派な王者立海だ。穴はない」
「真田君…臭いです。臭くて笑えて涙が出てきましたよ」
柳生は静かに目元を拭った。それは仁王も同じ事だった。真田は口をつぐんだ。
すでに涙をボロボロと目から零れさせているブン太が、ジャッカルに宥められながら二人に色紙を差し出した。
「これ…っ、子供っぽいけど皆で書いたんだぜぃ…ひぐっ、見ろよ…柳と真田なんか筆だし…っう、それにこの天才ブン太様が書いてやったんだから、大切にしねーと怒っかんな!」
「ブン太…ありがとな」
「上手く、やれる確立は100%だ」
柳が言うと、アメリカ行きの便の飛行機のアナウンスが流れた。柳生と仁王はメンバーに会釈し背を向けた。
全員、何も言わずに二人の背中を見送るだけだったが、いきなり二人が振り返った。
「俺達、二人とも紳士で詐欺師なんじゃ!上手くやっていけるに決まっとるじゃろ!」
「今度会ったときには入れ替わっておきますから、見分けられなかったら罰ゲームですね!」