沢山の愛を
手にしていたら

幸せになれたのだろうか

これも一つの終焉の形
せめて君に
愛を捧ぐ



跡部景吾は招待状を受け取ったメンバーを部室に呼んだ。皆が神妙な面持ちで招待状を片手に集まっていた。
招待状は、何ら普通の結婚式の招待状と変わらない。センスのいい模様が描かれた招待状、本来なら心から祝わなければいけないはずだ。しかし彼らの顔は優れない。
招待状の差出人は忍足侑士、その人である。ままごとのような結婚式。その招待状であった。
「お前ら、これの意味が分かってるな?」
「つまり忍足はあの人形からもう一生離れないって事だろ?」
「そうだ。忍足の奴は、もう戻って来ない」
跡部を始めとするここの者達は、忍足が学校を辞めた後の事を思い出していた。

あまりの理不尽な退学届に始めに騒ぎ出したのは岳人だった。侑士はそんな奴じゃない、普通に途中でやめるような奴じゃない、と榊に退学の理由を問いただしに行ったが、榊自身、家の事情、としか聞いておらず何も答えることは出来なかった。
その後、岳人は皆を集め、忍足の親に問いに行く事に決めたのだった。跡部は執事に忍足の父親が勤務している病院を調べさせた。
その病院に行くと、忍足の父親は場所を移そう、と言って忍足宅に皆を迎えた。しかしそこに当の忍足の姿は無かった。
跡部は無駄な挨拶をしても仕方がないと単刀直入に質問をぶつけた。
『どうして、忍足の奴は学校を辞めたんですか』
『…』
『答えてくれよ!侑士は何処行ったんだよ!』
『落ち着け岳人!』
『…侑士には人形を与えた』
『…は?』
『あの子は、一人が怖いだけなんだ。だからと言って、ずかずかと心に土足で入り込んでいく事も嫌う。侑士が求めたのは、自分だけを見て、それでいて自分自身を決して傷付けたりする事のない人形のような存在なんだ。侑士の暮らしている場所も教える。行ってやってくれると嬉しい。侑士も喜ぶはずだ。私はもう行く資格がない、侑士を放って置き過ぎた罰だ。今更干渉するなんて勝手過ぎる』
『そう、ですか』
跡部達は早速教えてもらった住所に行ってみた。
そこには一戸建てがあり、中からは忍足が出迎えた。そこで忍足と人形の生活を目の当たりにして、いざとなるとあまり驚きはしなかった。如才ない忍足の笑みを見た。
一見何も変わっていないいつもの忍足に見えるが少し目を凝らせば見えた。忍足がどれだけ異常かが。しかしもはや“異常”という言葉を定義付ける事さえ許されない世界であった。
そこは“普通”とか“異常”などいう言葉で表せない、“幸せ”というものを追求した世界の結晶であり、他人の侵略を決して許さなかった。

数ヵ月後、もう一度八人は忍足の住む家に訪問した。そして、そこの光景に皆が一瞬息を呑んだ。
人形の手足からは手錠や鎖、縄が縛りつけられそれが柱や椅子へと繋がっていた。重そうな首輪も付いていた。人形の衣服の所々がほつれ、髪が乱れていた。
それを忍足は愛おしそうに包み込むように抱きしめ、頭を撫でていた。
『こないすればどこにも行かへんやろ?この子は俺がおらんといかんのやし、これで俺から離れんで済むし。あんな、俺って一人で何でも出来る子なんやて。放っておいてもちゃんとしとるしっかりした子なんやて。せやから一人じゃ何も出来へんこの子の事俺が世話見てやるしかないやろ?』
『そんなにこいつの事を愛してんのか?』
『そや。あ、今度結婚式挙げるからな、招待状送るで。そんで跡部、一生のお願いなんやけど、結婚式に丁度いい教会とかあらへんかな、人はあんま入んなくてええねんけど。手配とかしといてくれると助かるんや』
『……ああ、考えておく』
それが忍足ときちんと会った最後だった。跡部は一日だけ、小さな教会を目的を言わずに貸しきった。
それを忍足に連絡したのが一週間前。そしてこうして招待状をもらうという事になった。

「いいか、お前ら式はちゃんとやるぞ。忍足がああまで本気なら仕方ねぇだろ」
皆が一同にうなずいた。



* * * 



結婚式当日。教会に来ていた招待客は跡部達八人だけだった。
忍足は親戚などには一切招待状を出していないらしかった。
異例の結婚式。髪を梳かし、特注のウェディングドレスを身に纏い、出来るだけの修復を施された人形がアンティークな椅子にちょこんと座っていた。
奥から、タキシードを着た忍足が出てきた。神父さえ居ない結婚式。まるでままごと、いやそれ以下のようなものであった。
用意されたのは、唯一の花束だけ。忍足は傷の付いた人形の唇に触れるだけのキスをした。
跡部達が、忍足のこんなにも幸せそうな顔を見たのはこれが最初で最後だった。忍足は皆に向かって笑った後、何も言葉を発することなく、床にゆっくりと、コマ送りでもしているかのように倒れていった。

座っている人形の、その目の前に存在を主張するかのように、安らかに倒れた。

岳人が席から立ち上がり、駆け寄ろうとすると跡部に制された。
「席に着け。式の途中だ」
岳人は跡部のその横顔に何かを感じ、何も言わずにおとなしく席に着いた。
皆が何も言わずに目を閉じる。皆が心から、それぞれの思いや祈りを目を閉じて心に思う。
「ゆうしっ、ゆうしぃっ…ゆうし、…っ」
岳人が嗚咽を漏らす。それを期に、堪えていたらしい長太郎も涙を流した。跡部が静かに言う。
「結婚式に客泣かせてどうすんだよ、馬鹿忍足」
跡部が一筋だけ涙を流した。



* * * 



「お前の母親、昨日誰かに病院で殺されたらしいじゃねぇか。絞殺、だっけか。殺人事件なのに証拠やらそんなんが全くねぇって警察が言ってたぜ。それでお前に話聞きてーんだとよ。どうすんだ?…ま、お前の今の状態じゃ無理だろーな」
亜久津は千石を広場に連れてきていた。見事な晴天で、雲ひとつなく、綺麗な空だった。
「何か飲み物でも買ってくっからよ、そこにいろよ」
そう言って亜久津は千石を残しその場を離れた。
千石の手には、開かれた忍足からの結婚式の招待状が載せられていた。千石はぼんやりとやはり天を仰いでいた。
千石の透明感の失われた瞳に空が反射している。春の風はまだ少しだけ冷たく、千石の膝には山吹テニス部員からの差し入れのひざ掛けが掛けられていた。風で少し、ひざ掛けが揺れる。
少しずつ暖かさを増す春の陽気は心地の良い眠気を誘った。
「忍足クン…やりたいことちゃんと出来たんだね…俺、も…ちゃんと、出来た、よ…」
「千石?どうした?」
「あく、つ…」
千石は入院して初めてまともに人の方へ振り返った。その顔は微笑んでいるようにも見える。
「お前…喋れんのか!?」
「あ、りがとう…」
千石がゆっくりと目を閉じる。亜久津は千石の肩を揺さぶった。
「千石…、オイ!千石!」
亜久津は千石の最後の「ありがとう」の意味を考えた。



* * * 



東京都にある、さる建物で今から異例中の異例な出来事が起きようとしていた。
二人分の葬式であった。それも二人の間には血縁関係や深い交流があったわけでもない。全くの他人である。
また、亡くなった者の親族は、親でさえも誰一人として来なかった。しかし、その場にはこれでもかというほどの人々で覆い尽くされていた。あまり広くない葬式会場には収まらず、屋外にまで人の波であった。
その人々は、関東圏を始め、全国のテニス強豪校のテニス部員が九割方を占めていた。
主となって喪主などを務める跡部が忙しそうに歩き回っていると、随分と見慣れた顔が並んでいた。
「青学じゃねーか」
「跡部か」
そう言ったのは手塚国光である。手塚の傍には、青学の越前リョーマ達もいた。
「惜しい奴を亡くしたな、跡部」
「ああ」
「俺は、結構忍足さんとも千石さんとも戦ってみたかったんスけど」
「生意気な青学ルーキーにそう言われりゃあいつらも喜んでんじゃねーか、手塚よ?」
「そうだな」
「それどういう意味っスか」
「そのままの意味じゃねーか」

「一つ言っておこう、跡部」
「何だよ」
「俺たちは、忍足や千石が優秀なテニスプレイヤーという理由でここにいる訳ではない」
「分かってる。さっきも散々立海の奴らにも言われたぜ。それに、ルドルフとか六角の奴らも来てくれてるみたいだしな」
「そうか」
「俺はそろそろあっちに行かなきゃ行けねぇからな、じゃあな」
「ああ」



跡部は、二人の遺影の前でこう言った。
「見ろよ…こっちだってあんま悪くなかったんじゃねぇか?まぁ、せいぜいこっちを放ったらかしにしてそっちに行くくらいだからな、幸せになんねぇと容赦しねぇぞ」



願わくば彼らが多くの慈悲に包まれん事を




9. 終焉 ( おわ ) らせてくれてありがとう、そして愛をこの手に





the end