古キョンですがキョンとハルヒが結婚していたり、古泉とハルヒがセックスする倫理的にあまりよろしくない話です


 1

 何を飲んでも泥水のような味がした日々があった。今は何をしていても、僕の体に蓄積された泥が吐き出された結果にしか思えないのである。
 高校を卒業すると同時に、涼宮さんの能力は失われた。当然僕はお役御免となったが、機関は存続し、何かにつけて僕やその他の超能力者のパトロンになっている。朝比奈みくるは僕達の卒業と同じくして未来に帰った。とは言えある程度自由にこちらと行き来出来る地位になったらしく、時折顔を見る。長門有希は我々と同様、大学へ進学した。依然として対有機生命体用コンタクトインターフェースとしての存在なのかは知った事ではないけれど、摩訶不思議な力を使う事はなくなった。
 そして彼は、涼宮さんと交際を始めた。
 大学生生活は、自分がまだ夢見ていた頃に好きだった天文の勉強も出来たし、選択の自由があった。それでも、四年間のちりちり焼けるような苦しみは消えず、僕につきまとった。念のために、と機関に彼らと同じ学校にさせられたのは機関の最悪な置き土産だ。
 SOS団はいまだに存在し、あっという間に四年は過ぎていった。僕達が社会人になる時が来て、それから二年が過ぎた。

 暖かい陽気の、春の事だった。
「今日皆に集まってもらったのは、不思議を探すためじゃないわ」
 よく全員で集まった喫茶店で唐突に涼宮さんが発した言葉に彼が何か特別な反応を示さなかった時点で、嫌な予感はした。数えて24歳になる彼女はすっかり大人の女性になり、続けた。
「あのね、あたし、今年の夏にキョンと結婚する事になったの」
「わぁっおめでとうございますぅ」
 目をきらきらとさせて朝比奈さんがそう言いながら、僕は目の前が真っ暗になる気分がした。分かってはいたけれど、気持ちが追いつかない。
「そん位で良いだろハルヒ。どうせ招待状とかでおいおい言うんだから…」
 照れくさそうにする彼を見たくなかったから、目を逸らして不自然にならない程度に目の前のアイスコーヒーの水面を見ることに専念した。そこに映る長門さんと目が合うのも避けようと、ストローでかき混ぜた。
「古泉君の住所は分かるんだけど、みくるちゃんと有希の今の住所が分からないから正確なやつをあたしにメールで送ってちょうだいね!!」
「あ、今しますね」
「私も」
 女性三人は携帯電話を取り出して楽しそうに(それこそ長門さんでさえ)会話を始めた。必然と僕は彼と話をする事になる。お前さ、と彼は気さくに話し掛けてきた。
「本当歳食わないっていうか、老けないよな」
「あなたがそんなに素直に褒めて下さるなんて、珍しいですね」
「お前を僻む事はやめたんだよ。顔面偏差値について喚くのは不毛だと聡明極まりない俺は気付いたからな」
 高校生の時から何ら変わりのない彼の憎まれ口につい笑ってしまう。それに不満げな顔をする彼に僕はまた苦しくなる。もう彼は、彼だけのものではない。
「朝比奈さんも長門もなかなか会えないからさ、お前位は頻繁に顔出せよ」
「新居の方はどちらに?」
「この喫茶店のすぐ近くだ。別に無理して東京に出ることもないしな。お前んちともそんなに遠くないし」
「それは、良かったです」
 僕たちは立派な大人で、いくら自分が違った考えをしていてもそこには大人の対応というものが存在する。幸い、かつ生憎僕はもう十年以上も前からそれを叩き込まれていて、すっかり体に染み込んでいたから取り繕うのは難しい事ではなかった。
「僕の訪問の際には、歓迎して頂けると幸いです」
「そうだな、ハルヒはそら喜ぶだろうよ。それに俺だって悪い気はしないさ」
 そんな事を言われたら、ますます行けなくなってしまう。


 2

 それから僕は、彼からメールをもらったり何かお土産を持っている時に何度か二人の新居を訪ねた。その度に、昔に習得した鉄仮面を幾つも重ねて、肉付きの面のようになっていった。
 僕は平日に珍しく1日まるまるの休暇で、だからと言ってする事もなく、頬杖をつきながらパソコンでネットを手慰みに暇を持て余していた。ヤフーニュースもあまり興味の起きない事ばかりだったし、通販サイトに行っても欲しいものは特に無い。
 その時、いきなり(当たり前だ)携帯電話がバイブレーションががなり立て、机の天板を振動させたせいで僕は酷く驚いた。どうせ会社の人間だろう、と発信者を確認もせずに通話ボタンを押して耳に当てた。
「もしもし」
「あ、古泉君?今って仕事中?」
 耳から聴こえる涼宮さんの声に、まるで心臓を鷲掴みにされた気分になる。
「いえ、今日は本当に偶然休みでして」
「じゃあ今から家に来ない?あたしも暇なのよねー話したい事もあるし!!お昼はご馳走するわ」
「分かりました。すぐにお邪魔しますね」
 彼はいないのだろう、夫が不在の家に無関係の男が一人で行くというのも非常によろしくない図だけれど、彼女に能力があろうと無かろうと僕に拒否権が無いのは確かだ。
 僕は出掛ける相応の格好をしながら、涼宮さんが話したい事に考えを巡らせた。もし、もし僕が最も恐れている話題だったら。こども、の話だったら。

「お邪魔します」
「入って入って!!古泉君は紅茶よりコーヒーのが良いでしょ?」
「そうですね。わざわざありがとうございます」
 涼宮さんがコーヒーを淹れる音が響く。何度となく来たこのマンション、客人がどこに座るかはもう慣れている。涼宮さんは僕と自分の前に違う種類のマグカップを置いた。熱そうだから、もう少し待とう。
「それにしても、涼宮さんが専業主婦になられるなんて思いませんでしたよ」
「なったんじゃないわ。一応経験してみるだけよ。あたしはずっと家庭に収まっていたりしないもの」
「それもそうですね」
 コーヒーはまだ湯気を沢山出している。
「ところで、話、というのは」
「ああ、その…ね、あたし、キョンと仲が悪いとか上手く行ってない訳じゃないのよ。ただ、夜に、何て言うのかしら、夫婦ってもっとこう、こんな淡白な、まるで仲良しこよしのお泊まりごっこみたいで良いのかしらって」
「要するにセックスレスに悩んでいらっしゃるので?」
「…まあ有り体に言えばそうなるわね。古泉君に相談するのも変な話だけれど、キョンから何か聞いてないかなって」
「今のところ、彼から涼宮さんへのご不満は聞いてませんし、彼が不満に思っていることも無いと思いますよ。ただ、今まで友人として接してきた分夫婦としては心の切り替えがまだ出来ていないのでは?」
 深く考えるのも苦しくて、当たり障りのない事を一気にまくし立てた。それと同時に、僕のなけなしのポジティブな部分でデリケートな相談に下手な女友達でなく僕を起用した事を喜ぼうとはしてみた。
 不安そうに僕を真っ直ぐ見る彼女の目に、僕には歪曲した考えが浮かんできた。コーヒーが大分熱くなくなったのを確かめてから一口、飲む。生憎僕はもう少し甘い方が好みだ。
「涼宮さん」
「なに?」
「そういった面で彼にご不満でしたら、ぼくを、代わりにして頂いても構いませんよ」
 僕も衝動だったのだ。涼宮さんの目が大きく見開かれて、息を呑む音がした。信じられないという気持ちと、それから少しの期待が見受けられる。
「で、でも古泉君、それって不倫、」
「僕たち、もう子供ではないのですよ?」
 どうします、今からホテルにでも行きますか、ご知り合いと絶対に遭遇しない所を僕は知っていますよ。涼宮さんは僕の手に自分の手をそっと重ねてきた。大丈夫、僕は涼宮さんの相談に乗ったまでで涼宮さんは彼を思ってこその行動且つ他の男に心変わりしたわけではないのですから。彼女がそうね、と妖艶に微笑んだ。僕たちは大人だ。

 彼女の裸体はそれは美しかった。整った形の乳房を愛撫すれば、体をくねらせて切なく眉根を寄せる彼女は大層魅力的だ。快楽に夢中になっている彼女は気付いていないのだろう。
 彼女が僕を彼の代わりとしていると同時に僕が彼女に彼を見ている事を。ここに彼が入ったのだと考えるだけで興奮し、性器を勃起させている僕を。
「古泉君って思ってたより荒っぽいのね。驚いたわ」
「がっかりしました?」
「寧ろ新発見でどきどきしたわ」
 にやっと笑う彼女に一瞬だけSOS団団長の面影を見た。古泉君って何型?何型だと思います?そうねえ、その大胆さはO型とか?実はB型なんですよ。あら、また新発見だわ!!彼女は愉快そうに笑った。僕はコンドームを取り、端を縛ってホテルのゴミ箱に捨ててから、涼宮さんの横に寝転んだ。自分の家のベッドよりはましな寝心地だった。
「ちょっと電話するわね」
 彼女は全裸のまま起き上がってサイドテーブルに置いてあった携帯で電話をかけた。相手を推測する事など容易過ぎて逆に無粋だ。
「もしもしキョン?あのね、今日友達とご飯食べて帰るから夕飯は済ませて帰って来てくれる?うん、あ、そうなの?分かった。じゃあね」
 携帯をぱたりと閉じて彼女が僕の方に振り返った。キョンってば今日残業だから遅くなるんだって、すごいタイミングね、と彼女が言うから僕はイフの可能性に肝が冷える思いがした。
 彼女がシーツの下の、僕の下腹部に手を伸ばす。
「今日、後何回出来るかしら」
 彼女には、きっと罪は無いのだ。


 3

 暫く彼に会っていなかった。あの後僕の仕事が若干忙しくなった事もあって、涼宮さんを抱いたのも片手で足りる位だった。そんな時、彼からメールが来たのである。今日、空いてるか?給料日なんだ、たまには飲まないか。と彼らしいメールに安心しつつ承諾の返事をする。少し、彼に癒されたかったのだ。分かりました、とメールを打つ最中に彼に対する罪悪感は不思議とあまりなかった。
「よう、久しぶりだな」
「ご無沙汰してました。最近仕事が忙しかったもので」
「さすがIT企業のエリートは違うな」
「若い分安価で使い勝手が良いだけですよ。まあ体力的若いとも言えなくなるのもじきもうすぐですが」
「俺なんかもうガタが来始めてるっての」
 今高校の時みたいに走り回されたら死んじまう自信があるな、と言うから僕たちは二人で笑った。この距離が心地良いから、僕はなかなか離れられなくてついしがみついてしまう。
「それにしてもあなた、僕の給料日は無視ですか?」
「お前の給料日なんぞ加味するわけないだろ。大体お前は給料日前だって食生活が変わらない人種だろうに」
「仰る通りですが語弊がありますね。僕はいつだって大したものを食べずに十年近くあなたに食生活を説教されて来た人間ですよ?給料日前も変わりませんが給料日後も変わりません」
「そうだったわ…お前は放っとくとすぐコンビニを専属シェフにするやつだったわ…」
 頭を抱えて嘆かわしいという仕草をする彼と悪びれもなく笑う僕。なんら不足のない円滑な友人関係。生ビールを煽ったグラスを脇へ寄せて、怖いもの見たさで注文したマッコリを口へ運んだ。なる程好き嫌いのある味だけれど、僕はあまり好きではない。彼はそこそこに気に召したらしくごくりと豪快に喉を通した。
 彼は何か言おうとして、しばし逡巡してからゆっくりと言い始めた。
「だがな古泉よ、俺は今非常に気分が良いからこそ笑い話として言うし笑い話として聞いて欲しいんだがな、これでも高校の時な、お前の事、少し気になってたんだ」
「え…?あの、それは」
「だってさ、お前捨てられた犬みたいな目でたまに俺を見て来ただろ。俺はそういう奴に対して余計な世話を焼きたくなっちまってさ、うん、まあ」
「それで?それでその後はどうなんですか?」
 自分でも必死の形相をしているのだと思う。
「ハルヒと付き合って、暮らしたりするのに抵抗は無かったし結婚もして良いって本気で思ったさ。でもな、お前がこんなに男前になってんの見たら、ちょっとは悔しいよ」
 彼と涼宮さんの結婚式に出席する時よりも、涼宮さんとベッドに入る時よりも、何よりも心臓の鼓動が速い。どうしたら、どうしたら、と戸惑いつつも口からぺらぺらと言葉がスムーズに出て来た。
「まだ、遅くありませんよ」
「どういう…」
「僕は、あなたとそういう関係に至っても良いと思っています。家、来ますか?」
「でも俺は、ハルヒが」
「涼宮さんには僕が連絡しておきます。僕の家の近くで飲んでいたら潰れてしまったので今夜は家にお預かりします。着替えは僕のをお貸ししますから明日のお勤めはご心配ありませんよ。たまに会った男友達ですから下らない事で話もお酒も進んで、」
「良いから!もう良いから…」
 彼が僕の手を握った。酒が入って温かくなった彼の握り方は彼女のそれとは幾分と違っていた。取り繕う言葉だけはすらすらと滞りなく出る僕は最低な事をしている。
「大丈夫ですよ、閉鎖空間はもう、出ませんから」
 ほんとうに、最低だ。

 僕の家の鍵を慣れた手つきで開ける。幸い今のところ両隣に住人はいないので、時間をあまり気にしなくて良いのが有り難い。
「今更なんだが何でお前の家なんだよ。これから何となく来づらいだろうが。俺が」
 あまりホテルには行きたくなかった。ホテルという便利な場所で済ませたくなかったのは、僕の粘着質なもったいない精神だ。今回ばかりは、コンビニで済んでしまう僕の食生活とは違うのだ。
「シャワー、浴びますか?」
「どうせ浴びたって酒臭いから面倒くさい。お前が気にするなら浴びるけど」
「僕は、気にしませんよ」
 僕は彼に言って彼をベッドに誘導する。彼も僕もベッドの前に鞄や背広を乱雑に投げ捨ててベッドにもつれ込んだ。たまに近付いた時だけに香った彼の匂いがダイレクトに鼻孔を満たして、全身を駆け巡った。
「ずっと、こうしたかったんです」
「まさかこの年になって叶うなんてな」
「あの頃は、色んなものが怖かったですから」
 恐る恐る彼に軽くキスをした。顔が見ていたくて、目を閉じなかった。何度か音も立てずにした後に一拍置いて、僕は彼の頭を掴んで貪る様に、乱暴に唇を押し付けて舌を挿れた。もうキスなんてものではない。ただ唾液を垂れ流しながら口の中の雑菌を交換し合うだけの行為に僕の海綿体は確かに反応している。彼も僕の頭を掴んで離さない。お互いの顔や髪がべとべとになる。
「はあっ、はあ、お前、こんなキャラだったか…?」
「いいから、もっと、口あけて」
 彼は何故か少し驚いた顔をした。そう言えば、まだ僕は伝えていない。
「好きです。あなたの事が、すきだ」
 彼の婚約指輪を取ろうとしたら彼は自分で取って背広が投げ捨ててある所に転がした。ごめんなさいごめんなさい。



 4

 すきです、すきだ、を繰り返しながら僕たちは下半身を摺り合わせる事に夢中だった。Yシャツは二人分の汗をぐっしょりと吸い込んで気持ち悪く、脱げば良いのだと分かりながらもそのままだった。中途半端に垂れ下がったベルトが音を立てて耳障りだ。
「は、ぁ…古泉、もっと…」
「後ろ、触ってもいいですか…?」
「もう、何でも良いから…っ」
 腰を上げてもらって彼のズボンを下ろす。中肉中背でまさに平均的な顔立ちの彼は贔屓目に見ても決して優れた容姿ではないけれど、これ程までに性的なものがあるのかと僕は本気で考えてしまった。
「う、ぅ…あ」
 アナルに指を挿れると低い声で彼が唸った。中は粘着質で、女性器よりもべたべた絡みつき、あまり指通りが良くない。僕は一度彼から指を抜き、立ち上がり呼吸を整えながらPCデスクの引き出しからローションとコンドームを取り出した。
「お前、何でそんなに用意良いんだよ…」
「前に少しだけ交際していた女性が置いて行ったんですよ」
 嘘だ。これは涼宮さんとセックスをする為に用意したものだ。少しでもセックスした痕跡を残さないよう彼女を傷つけないためのローションと絶対に僕の子供を妊娠しないためのコンドーム。彼ら夫婦の間を僕が介する異様な光景。
 彼は僕の嘘に若干の傷ついた表情を隠そうとはしなかった。けれどそれを認めてしまったら僕の方なんてどれだけ惨めになることか。彼は僕に結婚式まで目の前に突き付けたというのに。あの後僕も会社の女性と関係を持った事は何度かある。僕の方は一度も好きだとは言わなかった。食事をして、少しアルコールを含んで、たまにセックスをする行きずりの関係。一応勃起するものは勃起して、セックスとしては成り立っていたけれどだから何だと言うこともない。
「お前さ、童貞捨てたのいつ?」
「…中学生の頃ですよ。“古泉一樹”は下半身もお行儀良く完璧でいなくてはいけなかったから、機関に保護されている時にやたらに綺麗なお姉さん方が僕に一から十まで教えて下さいましたよ。もし“神”がそういった事に興味を持った時のために、とね」
「何にも知らない奴に話したらさぞ羨ましがられそうだ」
「結局、だからって別に役には立ちませんでしたけどね」
 彼には言えない。今更若干役に立ったなど。
 僕はローションのボトルを開け、指と彼のアナルに勿体無い位に垂らす。暖房が点いているとはいえ、寒い所で保存していたローションは相当に冷えていて彼の腰がびくりと震えた。指を挿れると随分とよく動くようになった。
「やっぱ、きもちわる…いな、う」
「でしたら、こちらも触った方がよろしいでしょうか」
 僕は彼の性器をやんわりと握った。男だから、どこがどれ位が気持ち良いかはよく分かる。その証拠に彼の性器が次第に硬さを増し、後ろの力も抜けて来た。
「本当は腸内洗浄をしなくてはいけないんですが、」
「お前、詳しくないか、…?」
「あなたに片思いをしている間ずっとそういう事を調べては妄想に耽っていた僕を、軽蔑しますか?」
「してたらっ…あんな事今更言うかよ」
「よかった」
 いっそ彼の病気だったらそれを頂いて死んでも構わない。僕はコンドームを袋から開けて性器に着ける。この感覚はなかなか独特のものだと思う。
 彼のそこに先端を宛てて、少しずつ押し込んでいく。押し返そうとする中の圧力と、押し込む力を丁度良いバランスにする。僕は可能な限り優しくしようと思ったのだけれど、彼が焦れったそうに腰をくねらせたから僕は女性にするように腰を押し出した。
「はあっ…すごい…なんだか、感無量ですね」
「く、ぅあ、んん…こいずみ、」
「なんですか、っ」
「今だけで、いいから、素になれ…よ、ずっと…見たかった…」
 それは今まで取り繕って来たものを捨て去るという事だ。怯えと同時に、僕の中に甘えが生まれた。今だけ、今だけだから。
「おれ、は、好きだよ、」
「古泉、こいず」
「やっぱり、すぐに戻るのは…無理そうですね、あまりにも…長すぎた、から」
 彼が残念そうに声を上げるのも遮った。甘えてはいけない。これは立派な不倫なのだから、僕がまるで恋人になったかのような勘違いをするのはお門違いも甚だしいのである。
 僕は、人生で最も満たされたセックスの思い出を、コンドームの中に吐き出した。彼が満足げに眠る顔を眺めて、シャワーを浴びる事にした。僕は、一体なにをしているのだろう。


 5

 その後僕は、決して少なくはない数のセックスを、彼女とも彼ともした。セックスをするのは決まって相手がその連絡をしてきた時だけで、彼女とはラブホテル、彼とは自宅と決めていた。二人ともよもや不倫相手が自分の妻そして夫とも不倫しているなどとは思わないから、僕は知らず知らずの内に今までには考えられない程の頻度の性交渉に携わる日々となっていった。元々会社は機関の息が掛かった所だから平日の彼女の要求に応えるのは造作もないし、彼の僕の家への来訪が多くなった事について彼女は「二人が仲良くて結構だわ!!やっぱり男の友情ってこうじゃなくちゃね。高校の時は何だかどこか距離あるみたいで心配だったのよ」と仰った。
 僕は彼とセックスをした後、余韻に浸りながら他愛もない会話を楽しんでいた。セックスの、しかも不倫後の会話とは思えない程下らなくて、それこそ男の友人同士の会話。それがどうしようもなく居心地が良い。
「あのさ、今度のGWってお前休みか?用事とかある?」
「休暇を頂いていますよ。予定は特にありませんが」
「4日にハルヒがうちで食事しないかって言うんだがどうする」
「構いませんが、なぜそのような?」
「4日がお前の誕生日だからってさ」
 感謝の気持ちととんでもなく申し訳ない気持ちが一度に生まれた。最近の僕はよく葛藤に悩まされるようだ。
「何か映画のDVDでも見ますか?それとももう一度セックスします?」
「お前が何の映画を提案してくるのかによるな」
「オーソドックスにターミネーター2なんてどうでしょう」
「はい残念ーターミネーター2は俺も五回は見ましたーはいセックスー」
「ではジョン=コナーの今後を議論しながらセックスで如何ですか?」
「馬鹿ジョン=コナーは科学者かなんかになってドラえもんフラッシュ版最終回ののび太みたいになるってもう決まってるんだ。だから、俺に集中しろ」
 命令口調の彼の言葉に苦笑しながらベッドの布団の中で彼の下半身を弄った。彼は思っていたよりずっと淫乱で、僕がそれに嵌っていくのは自分で一番分かっていた。

 家での食事だから、逆にあまり堅苦しい格好をしない方が良いだろうと、僕は比較的カジュアルな服装をした。待ち合わせは7時で今は6時50分。インターフォンを鳴らすには丁度良い時間であるはずだ。GWで出掛ける家族が多いのか、世帯持ちの多く住んでいるこの賃貸マンションに人の気配はいつもより少ない。
「あら古泉君、お誕生日おめでとう!!」
「もう25です、そろそろおめでたくなくなってしまいますね」
「何言ってんのよ、誕生日はいつでもおめでたいものよ。人間がキリストの誕生日をいつまで祝ってると思ってるの?」
「仰る通りです」
 玄関先でいきなり祝福の言葉を言う涼宮さんに彼女らしさを感じてつい笑ってしまう。靴を揃えてから部屋に上がり、リビングに行くとダイニングテーブルには涼宮さんの手作り(料理はそつなくこなせる彼も手伝わされたに違いない)の料理が沢山並んでいた。これを僕の為に用意してくれたのかと思うと、胸が熱くなる位には僕も人の子だ。「今日は古泉はお誕生席だからな」と彼が言うので僕は涼宮さんがSOS団がいつでも集まれるようにと買った大きめのダイニングテーブルの、いつもは涼宮さんが座る場所に落ち着く。そして僕から見て左側に手前から涼宮さんと彼が座る。右側には朝比奈さんと長門さんが後から来るのだろうか。
「7時前だし長門も朝比奈さんもまだ来てないけど、とりあえず何か飲み始めておくか?」
「有希とみくるちゃんは来ないわよ」
「え?」
 彼が意表を突かれた顔をした。何も聞いていない僕が驚いたのだ、彼はもしかしたら二人が来ると涼宮さんに言われていたのかもしれない。
「あたし二人に話があるのよ。深刻だけど、暗い話にしたくないからこういう雰囲気にしておいたの。古泉君の誕生日を使った事は先に謝るわ」
「それは全く構わないのですが、話とは…?」
 意味も無く、嫌な予感がした。閉鎖空間が発生した時のあの感覚と酷く似ている。口の中が渇いて、冷や汗が流れそうな背筋の寒さ。
「ねえキョン、」
 それはまるで、
「あたしたち別れましょう?」
 酷く甘美な響きだった。

 いつも非常識な状況に置かれてもどこか冷静な彼が、心の底から驚いた顔になる。未練がましく理由を問い詰める事はしないけれど、「なん、で…」とだけ洩らす。それに、涼宮さんは“二人に”話があると言った。涼宮さんの中で僕に一体何があるのか、検討がつかなかった。
 涼宮さんはどちらかと言えばプラスの感情を抱いた表情で言葉を続けた。
「ごめんね古泉君、あたし、キョンの事ずっと独占してたよね」
「そ、れは…一体?」
「あたし知ったの。古泉君は本当はキョンが好きで、キョンは古泉君が好きなんでしょう?」
「どうして、そのような考えに?」
「始めは何となくだった。結婚式の時も、ここに遊びに来る時も、古泉君はそういう時に限って歯切れが悪くなるなって思ってた。でも最近仲良くしてる二人を見て普通に嬉しかったわよ、だけどあれ?って思って有希に相談してみたの。そしたら有希が渋々だけど教えてくれたわ。二人はそういう関係になったんだって、」
「違いますよ」
 一度でも喜んでしまった自分を僕は恥じた。僕は知ったのだ。これが僕の身を退くべき時で、僕は今まで身の程を超えて我が儘を通していた子供だった。どんなに彼を傷つけようとも、肯定だけはしてはいけない。
「勿論彼とは転校生の僕が親しく頂いたという点では非常に感謝していますが、僕はれっきとしてノーマルな性癖ですし、」
「古泉」
「彼の事はそういった目で見た事はありません。それに今、結婚を前提に交際をしている女性がいるんです」
 彼が酷く絶望的な顔をしたのが横目に見えた。僕はそれを黙殺して、彼女が明るい言葉を発するのを今か今かと待った。
 彼女が笑った。


 6

「ねえ、もう良いのよ古泉君、もう、良いのよ?」
 彼女が微笑みながら、僕にそう言う意図を僕は理解しかねた。直ぐにでもこの場から走り去りたい衝動を抑え込むのにやっとで、表情を作る余裕は無かった。話すにあたって出来る事ならばいっそ椅子に縛り付けてくれた方が腹も括れそうだ。
「それにね、あたし古泉君がキョンとそうなって無くても、別れるつもりだったの」
 彼と僕が何も言わずに、怪訝な顔をしていると涼宮さんは一息ついてから話し始めた。
「主婦やってみて分かったのよ。あたしの居場所はここじゃないなって、それでね、あたし世界中に行きたいの。飛び回りたいのよ」
「…」
「でもこれだけは言いたいんだけど、キョンの事は大切なパートナーと思ってるわ。だって、もし子供が出来たらちゃんと母親として育てるつもりはあったもの」
 ただそれに、古泉君とキョンの事が都合良く起きたから便乗しただけ、と涼宮さんが言った。実際それに含む所も虚偽も存在しないようには見受けられる。彼は涼宮さんが嘘を吐く時、必ず一度は目を合わせない瞬間があるのだと言っていた。
 彼女は真っ直ぐに僕を、見ている。
「涼宮さん、僕は、」
「あたしね、この前荒川さんに連絡を取ってみたのよ。随分久しぶりだったけど、荒川さんまだまだ若いわね。それで、古泉君の事、聞いたの。肝心な部分は大分はぐらかされちゃったけど、お母さんとお父さんの事とか、聞いたわ」
 なにもいえない。彼女がそんな事までしていたなんて思いもよらなかったし、荒川さんも彼女に何を話したのだろう。はぐらかしたと言っていたからまさか機関の事は言っていないのだとは分かる。
 僕の母親は優しい人で、ひどく真面目な人だったから、僕が超能力者となった日から日を追うごとにヒステリックになり、僕の話を少しも聞こうとしなかった。それでも僕が話をしようとすると、髪の毛をかきむしって物を投げつけてきた。僕はそれを決して避けなかった。ある日テレビのリモコンが顔に当たって目の上が赤黒く腫れたのに見かねて森さんが家にやって来た時は森さんを、僕を非行に誑かしているのだと喚き立て、僕は必死に森さんに失礼を詫びた(当時の僕は森さんにも反抗的な態度を取っていたけれど流石に謝るべきだと思った)のを覚えている。
 父は振る舞いのきちんとした人でとても博識だった。何の仕事をしていたのかよく思い出せないけれど、僕が小学六年生の誕生日に望遠鏡を買ってもらって、その夏は毎晩父に星座を見せて欲しいとしきりにねだり、父は誰も知らないような星座の名前も教えてくれた。その父は、母の変貌を見てから静かに、お母さんをこれ以上困らせるなら出て行きなさい、とだけ言って森さんや荒川さんに僕を引き渡した。
 それから両親には会っていない。母が望んでいた“まとも”な生活を送れる今も、一度だって連絡は無い。
 僕は無意味な焦燥感を覚えて、テーブルに並んだ手をつけられる事のないご馳走を眺め回していた。おかあさん。おかあさんも昔作ってくれた、
「古泉君の親御さんにはまだ連絡が取れなかったから、とりあえずキョンのお義母さんとお義父さんの所に行って事情を話したの」
「お前…っ、なに、言ったんだよ」
 彼は少し憔悴した表情を見せた。
「別にあんたが男と不倫してました、なんて言い方してないわよ」
 涼宮さんは、自分が海外に行こうと思っている事、彼が自分以外に好きな人間がいる事、それを自分も応援したいと考えている事、彼の両親にも認めてあげて欲しいという事を話したと言う。普通に考えれば信じられないけれど、それをやってのけるのが涼宮さんだ。
「それで…それでうちの親は?」
「そりゃあ最初は戸惑ってたわよ。でも最後には納得してくれたわ、あたしの聡明かつ賢明な言葉のおかげね」
 涼宮さんが愉快そうに笑った。彼は、それを聞いて安堵した息を洩らし、椅子の背もたれに体をうずめた。
「さてと、これで話は終わり!!せっかくあたしが作ったんだから料理食べましょ!!」
「…じゃあその前にトイレ行かせてくれ」
 彼が用を足しに行った。一瞬の沈黙。その後に、涼宮さんが口を開いた。
「あたしと古泉君の事は、お互い無かった事にしましょう。それは、あたしの我が儘」
「僕と涼宮さんの間には、なにもありませんでしたよ?」
「え?」
「僕の家にあるコンドームもローションも彼とセックスをするために僕が一人で買いに行ったもので、涼宮さんは知らないものです」
「そうね、そうだったわね」
 涼宮さんはありがとう、とだけ言って大皿に乗ったピザを一切れ彼女の皿に移した。古泉君も食べたら。僕は突如空腹を感じ、同じピザを三切れも自分の皿によそった。
 彼が戻ってくると、僕の皿を見て不審なものを見る目で僕の顔を見た。あなたもどうぞ、と勧めたらお前は作っていないだろと言われてしまった。確かに。
「今日は色々おめでたい事があるんだけどとりあえずは古泉君の誕生日におめでとう!人類が望んだあたしの世界進出と、古泉君の恋愛成就パーティーは来週やりましょ。勿論有希とみくるちゃんも呼ぶわ」
「あの…すみませんでした、それから、ありがとうございます」
 僕が頭を下げるのを涼宮さんが止めた。彼も穏やかな顔をしていた。
 ひとまずはこの空腹を満たすのに専念しよう。そして来週までに、彼の実家にお邪魔して土下座をする予定を立てなくてはいけない。殴られたって、今はきっと笑っていられる。


 7

 僕がまるで、赤紙を受け取ってしまった学生のような悲壮感漂う顔をしているのだと彼は正反対の、それは愉快で仕方がないとでも言いたげに笑って指摘した。
「なんでそんなガチガチになってんだよ」
「だって…あなたの一生を決めてしまいかねない事ですよ?はあ…」
 4日にあの話をして、次の日涼宮さんと彼は離婚届を西宮市役所に提出した。そしてその週の土曜日に、僕は彼を自宅に呼んでから彼の実家に行く支度をしている。彼は実家に帰るだけだから(いくらそれが離婚して男を連れて帰るためとは言え)、ラフな格好で良いだろうけれど、僕はともすれば魅力的な女性と結ばれ、まともに結婚生活を送っていた彼を寝取ったゲイとレッテルを貼られても仕方がない訳で、それなりに支度をしなくては、いくら彼のご両親が納得したと涼宮さんが言っても示しがつかない。
 彼は、僕がデスクの上に散らかしっぱなしにしていた小分けのコンドームを袋のまま弄りながら携帯の画面を眺めている。
「お待たせしました…」
「ああ、行くか。どっちの車で行く?」
「僕が車を出しますよ」
「お前のプリウスに乗るのも久し振りだな。ん、」
 僕の方に近付いて、彼は僕のジャケットの襟を掴んだ。
「ネクタイ、曲がってる」
 ネクタイを直してくれる彼の手つきが、酷く好きかもしれない。こうして僕は、きっと次第にだらしない人間になっていくに違いない。いつかは副団長で優等生の古泉一樹など見る影もなく、昔居た甘ったれて弱虫で臆病な古泉一樹が顔を現すのだろう。
 僕は車と家のキーをポケットに入れ、財布と彼の家へ持って行く手土産を手にとり革靴を履いた。戸締まりをきちんと済ませた事を確認して、家の中を見回せば、何だかとても心が整然とする。
 慣れた様子で助手席に乗り込む彼。彼を抱いた朝は、こうして僕が車を出して彼を職場まで送り届けるのだった。
「何で車黒にしたんだよ。お前何か白かシルバー買ってそうなのに」
「自分の選択の自由で買えましたから、好きな黒にしました。僕、これでも黒だとか濃い色の方が好きなんですよ」
「そういえば高校ん時どぎつい赤の携帯使ってたな。だが黒だと汚れが目立たないか?」
「洗車しに行くの、好きなんです」
「何で俺と被ってんだよーお前が行く時に一緒に行かないといけないだろ」
 顔を背ける彼が可愛らしい。どうしよう。ずっと前からこんな関係だったのではないかと、おこがましい錯覚までしてしまう。胸焼けが、する。氷鎖はきっとまだ切れていないのに。

 僕のマンションから彼の実家までは車で15分の所にある。高校生の頃から何度もお邪魔したそこには、近所の他の一軒家よりもアットホームさを醸し出し、僕にとっては大層な心地よさと歯痒いこそばゆさのアンビバレンスを提供する。
 駐車場には彼のご両親の車が二台停まっているからそこに車を頭から入って車体の中程まで入れて停めた。僕がトランクから手土産を取り出している内に彼は家の呼び鈴を鳴らしてしまった。中から出て来たのは彼のお母様で(妹さんも確かもう二十歳位だ、家にいなくても不思議ではない)、僕と彼の姿を認めると柔らかい態度で家に迎え入れてくれた。
「ただいまー、親父は?」
「お父さんならリビングよ。お母様もコーヒー煎れたら行くから二人は先に行ってて」
「お邪魔致します」
 リビングのL字型のソファには彼のお父様が座っている。昔に二、三度会った事がある。確かに年は召されたけれど相変わらず平凡で温和そうな男性だ。彼にはお父様の面影がある。挨拶をした所座るように促されたので、彼と隣り合って、お父様とは違う辺の方に座った。暫し沈黙の後、お母様がお盆を持って戻って来た。彼女はお父様の隣に座り、コーヒーカップを4人の前に並べてから腰を据えた。
 一般家庭だ。
 年を取っても、たまに会った家族でも、それは紛れもない家庭の有り様で、そこに僕はいらない。
「申し訳、ありませんでした」
 僕は誰かが何かを言う前に、ソファから腰を上げ、フローリングの上でご両親に土下座をした。頭を床に付けて出来る限りに低くなる。彼らの顔は見えない。見えなくていい。
「僕が、全ていけないんです。息子さんも、涼宮さんも、僕が、」
「古泉君…」
「ご両親が仰れば僕は二度と彼の前に現れません」
「古泉!」
 彼が咎める声音で叫んだ。
「けれど、僕は本気で彼を、愛しています」
 誰かが唾を嚥下する音だけが聞こえた。
 意気地無しで、後ろ向きな僕の恐らく最後の告白。せめて彼にだけは届いていれば、良い。始めからしあわせになるなど出来ないのだと、諦めていた。やっと感じられるようになったしあわせが、僕には有り余るものに思えて、それをどうして良いか分からない。きっと一生、余剰していく。しあわせは、貯蓄出来るものなのだろうか。
「ハルヒさんが、先日古泉君の話をしに来たんだ」
 彼のお父様が、僕を見て言った。やはり、目が似ている。目の奥の色が似ている。
「きみは、ずっと独りだったんだね」
 彼は、彼らは、純粋だ。人のしあわせも妬み僻む事も、かなしみに同情を乞う事も知らない。知らないから、他人に敏感でいる事が出来る。何につけても僕とは違う。
「うちの息子は、きみの真っ当なしあわせに相応しいかい?」
 真っ当なしあわせ。それが一般論のテンプレート基準のしあわせという意味でない位僕にも理解出来る。あの泥水の如き毎日から僕を引き上げてくれたのは紛れもない彼だ。
「僕は十分過ぎる程のしあわせを、彼から頂いています」
「息子は頭が特別良いわけでもないし、めぼしい特技があるわけじゃあない。良くも悪くも平凡だ。それでも、人一人をしあわせに出来る事を、誇りに思うよ」
「ありがとう、ございます…」
 僕はもう一度床に頭を付けて、ご両親に礼を言った。

 その日は彼と二人、外で食事をして早めに僕の家に向かった。
「俺、あそこのマンション引き払ってこっち来ようかな」
「是非そうして頂けると僕も嬉しいです。この部屋も、一人だと余ってしまいますし」
「なら次の休みにそうするわ。忙しくなるな」
 玄関先で彼が僕に抱きついてきたので、彼の頭を掴んでキスをした。それだけで、勃起してしまいそうな位の官能が僕の全身の神経を巡る。項から薫る少し汗ばんだ臭いでさえ興奮材料の一つで、僕は彼を連れてベッドに急いだ。
 玄関でも良いのに、と彼は不満げな目をしたけれど、玄関ではセックスを朝まで出来ない。
「古泉、お前、しあわせか?」
「しあわせですよ。しあわせ過ぎて、」
 しあわせが、どうしようもなく、怖い。


 8

 2ヶ月が過ぎ、涼宮さんから絵葉書が届いた。鮮明な印刷で壮観な海を拝見に、涼宮さんを中央に、両隣には白人男性と黒人女性がが一人ずつ写っていた。涼宮さんは現在、世界的な福祉団体に入り、色々な国を飛び回っていて、写真の二人は中でも親しい二人らしい。
 僕たちはベッドの中で、裸のまま葉書を読んでいた。一緒に暮らして、毎日ではないけれど沢山セックスをして、休日には出掛けてみたりして。これ以上は、飽和状態を保てなくなってしまう。
「ほお…ハルヒらしいな」
「おや?」
「どうした?」
「見て下さい、これ。PSの所」
「ん…長門から何か手紙が来るのか」
 『近い内に有希から便りが行くと思うから宜しくね!』とそこには書いてあった。長門さん。一体何なのか心当たりもない。日本に、しかも同じ県にいる筈の長門さんからわざわざ郵便で来るという事は書類系か何かなのだろう。
 それでもすぐに気にならなくなって、僕たちはまたセックスに没頭した。彼はセックスを重ねる毎に僕を誘惑する手法を覚え、これ見よがしに実践してくるものだから僕も吸い取られないように彼を何度も犯すように抱いた。

「郵便…長門さんからだ」
 予定より早く仕事から帰って、郵便受けに封筒が入ってるのを見つけた。そのままになっているのだから、彼はまだ帰っていないのだろう。一般的な封筒より少し大きめなそれは事務的な雰囲気で、それが長門さんだからなのかそういう内容だからなのか分かりかねた。
 宛名が僕たち二人になっているから先に開けてしまうのも野暮だろうと、とりあえずはデスクに置いておく事にした。
 そう言えば暫く長門さんに会っていない。最後に会ったのは涼宮さんと彼が結婚してから5人で遠出をした時だ。朝比奈さんともそれから連絡を取っていない。未来にいる彼女と連絡を取る手段が無いわけではない(意外にも普通に電話もメールも繋がる)けれど、これと言って特別な用事も無かった。僕たちの事は涼宮さんから話が行っているだろうし、彼女は僕と長門さんを少しばかり苦手視していたからわざわざ僕から連絡する事もない。
「古泉、先に帰ってたのか」
 気付いたら彼が鍵を開けて帰って来ていた。僕はどれだけ瞑想に浸っていたのだろう。
 彼は背広のジャケットだけ脱ぎ、ネクタイを緩めて僕の手元を覗いた。
「長門から…?ああ、この前ハルヒが言ってたやつか」
「開封してみますね」
 厳重に糊付けしてあったため、鋏で開封する。何枚かで重なった紙が二束あり、長門さんからの手紙だと思われる方を先に開いた。そこには長門さんらしい簡素な、それでも昔よりはずっと心の籠もった挨拶がしたためられていた。それから、それ、から
「…養、子…?」
──涼宮ハルヒの提案。二人のどちらかが里親登録をして、養子を取るのはどうか、と。彼女は、あなた達の両親に形だけでも孫を、と考えている。
 日本だけでなく、他の国の様々な養子制度についての説明が、綺麗過ぎる位の楷書体で至極分かりやすく記述されていた。頭が痛くなって来た。つい、手紙を取り落としてしまった。
「大丈夫か、古泉?」
「すい、ません…」
 心臓がいたい。肺が詰まって、気道が確保出来ない。鼓動がどんどんと速くなって、真っ直ぐとした姿勢が保てなくなる。
 こども。
 よく、分からない。愛し方が、分からない。
「しっかりしろ、おい古泉…」
「涼宮さんや長門さんが、僕たちの…為を思って、こういった事をしてくれているのは、分かっているんです…それでも、」
 彼が背中をさすってくれている。僕は前屈みで口を抑えていなければ、吐きそうな気分だった。何を吐くと言うんだ、昼はあまり食べていないのに。たすけて、おかあさ、──誰だ?
「古泉落ち着け、焦らなくて良いから」
「はあ…は、あ、はあ…」
「落ち着いて、深呼吸をしろ。ん?」
 彼が、僕がデスクに置いたままの封筒から、一枚の小さなメモを取り出した。何か、別件のものらしい。
「住所…?」
 彼はそのメモをふと裏返し、驚いた表情を見せた。
「古泉、これ…」
「…!これ、は僕の、両親の名前、です」
 メモには涼宮さんの文字で僕の両親の氏名と、表には彼らのものと思われる住所が記されていた。昔僕が普通のこどもだった頃に住んでいた場所とは全く違う県の、全く違う場所。当たり前だ。頭のおかしくなった僕が居なくなったからと言ってあの場所に、ずっと住んでいるはずがない。
 今更、どうしろと言うんだ。
「明日、行ってみよう」
「何故今更、会えるはずもないのに…」
「お前がしあわせを怖がってる根源は、これだろう?明日、終わりにして来よう。養子とかそういう事は、それから考えれば良い」
 メリーゴーランドだ。物凄い速さで廻り巡り、僕の内臓が追いつかない。
「でも、」
「もし、お前の親御さんに会って、どんな結果になっても俺はお前を見捨てたりしない」
 僕は彼を抱き締めて、何も言わずに涙を流した。

 翌日、僕は今までになく憂鬱な気分で目を覚ました。それなのに何処か高揚していて、吐き気がうっすらと残っている。
 何を着て行こう。僕が家を出た時と同じ、中学校の制服を着てやろうかという考えが脳を過ぎったけれど、それには僕は年を取りすぎた。無難にジャケットにしよう。今までも、そんな格好をしていればそれなりな見てくれにはなった。
 十年以上も会っていない僕を見て、どんな反応をするのか。それ以前に僕だと気づくのか。
 何と、恨み言を言ってやろうか。
「もう用意したのか」
 彼が目を擦りながら起きて来て、眠そうな声で言った。昨夜も、彼を抱いてしまったから仕方ない。そうしなければ、何か、分裂してしまいそうだった。
「今度は、俺もちゃんとした格好していかないとな」
「あなた、楽しんでいませんか?」
「ある意味お前の新たな門出になるんだ、当たり前だろ」
 その笑みは、昔妹さんによく見せていたものに似ている。
「俺も責任、持たないとな。お前があんなに土下座までしたんだ。来る所まで来ちまったんだし俺もお前の人生に責任を持つよ、古泉」
「僕、は」
 腕時計を、両親が中学校の入学祝いに買ってくれた腕時計をつけている方の手に暖かいものが触れた。彼の手。高校一年生の時に、初めて触れた。
「もしさ、親御さんがお前に酷い反応とかしたら、お前落ち込むだろ。そうしたらどこかの海にでも行こうぜ。その位の覚悟は、ある」
「その時は、海外の綺麗な海が良いですね。一度、涼宮さんに会っておきたい」
 しあわせだ。この部屋を出たら、どうなるか分からないけれど、どちらに転ぼうと確かに僕はしあわせだ。
 だから最後にもう一度だけ、
「ありがとう、──」
 彼の名前を呼んだ。


おわり