「どういうつもりだ」
「それは僕の台詞ですよ。貴方は僕の前に立ちはだかっても涼宮さんを庇う、というのですか」
「それがどうした」
「残念です」
僕は、火の海と化した北高のグラウンドでただ二人きりでキョン君と対峙していた。せっかく二人きりになれたというのに、こんな風では嬉しくもなんとも無い。僕の望んだ結末はこんなはずじゃなかった。キョン君としなくてもいい対立なんかしたくなかったし、僕自身、こんな事はしたくなかった。
「どうして、お前がそんな事しなくちゃいけないんだ」
「どうしてって、機関の命令ですから」
「何でも機関機関かよ…っ」
そう、僕は機関に涼宮ハルヒの殺害を命じられた。
機関を含め全宇宙の涼宮ハルヒを監視する組織は全一致で涼宮ハルヒを遂に全世界における危険分子と判断し、殺害という決断に至った。例えこの世界が3年前、涼宮ハルヒによって創られ、涼宮ハルヒが神という存在だったとしても、その神を恐れているのではなく神さえも陵駕するほどの力を持ってしてその存在を無かったことにしてしまえば、この世界は涼宮ハルヒによって創られたという情報は消滅し神という存在などないのだ、と定義付けられることが可能になる。それが今の全宇宙の組織全てにとって都合の良いシナリオだった。問題はそれを誰が実行するか。結局誰が涼宮ハルヒを殺害しようとも大した差はない。しかし涼宮ハルヒに警戒心を持たれようものなら、計画の前に宇宙自体が壊滅を迎えかねない。その結果、涼宮ハルヒに近しい者に殺害命令が与えられ、その候補は3人挙げられた。それが朝比奈みくる、長門有希、そしてこの僕。けれど朝比奈みくるにそのような能力はないと宇宙は判断、長門有希に関してもヒューマノイドから徐々に少女としての人格を持ち始めた今、それが完全に実行されるか懸念された。そして、その役割は自然に僕に限定された。
夏の夜の学校。僕は不自然さを察知されること無く、SOS団のメンバーを「肝試しなんてどうでしょう」と言って呼び出すことに成功した。本来ならば涼宮ハルヒだけを呼び出し、まるで暴漢の如く襲ってしまっても良かったのだけれどそれはいくら機関の命令で殺害するといっても、人として僕に残っていた感情が止めさせた。しかし結局僕が考えついた方法は更に非道な方法で。SOS団ごと葬ってしまおうなどと考えていた。いつの間にか、校舎に火をつけていた。といってもライターしか持っていなかったので火の回りは遅く、僕が外で高みの見物をしていたら皆が逃げられなくなる前に校舎の中でキョン君が気付いてしまい、皆を逃がしてしまった。僕がそれを追いかけようとするとキョン君に止められてしまった。それはそれでも構わなかった。別に後からでも殺害を実行する方法はいくらでもある。
それに、本当は僕は心のどこかでわざとキョン君を逃がそうとしていたのかもしれない。だからこんなチャチな火の付け方をしたのかもしれない。
「お前は、本気でハルヒを殺そうとしたのか」
「どうなんでしょう」
「ふざけてる、のか…」
「ふざけてなんかいません。確かに僕が機関の命令を実行しようとしたことは事実です。しかし、別に僕としてはこれを実行しなくてはいけないという義務感はありませんし、ここで貴方と機関に見つかるまでの間、共に逃げ続けても構わない。貴方が、僕と一緒にいてくれるというのなら」
「答えろ。お前は、ハルヒを殺したいのか」
「どちらでもいいです」
「どういう事だよ」
「別に涼宮さんが殺されるとして、誰に殺されようと僕に関係はありませんし、殺されないならそれはそれでSOS団が存続するわけですから僕はそれでもいい」
僕はそちらでも構わない。それは本気だった。そして、僕がキョン君、貴方を想っていることも本気だった。
「どちらにせよ、ここで貴方に止められてしまった。僕はもう涼宮さんを殺しにはいけない、貴方に嫌われてまで」
「それで、お前はどうするんだ」
「ここで僕が逃げてしまえば機関は僕を消しに来るでしょうね、映画みたいな展開ですが」
「ふざけるな!お前は、それでいいのか…?」
「僕は死ぬ事には恐怖はありません。ただ、貴方と離れることは怖い」
「……」
「貴方の本心が知りたい。僕の事をどう思っていますか?」
「お前は俺の事をどう思ってるんだ」
「もちろん、好き、ですよ」
「…俺も、だ」
「卑怯な人だ」
本当に貴方は卑怯な人だった。最後まで卑怯で可愛い人だった。僕に結局素直な所を見せてはくれなかったけれども、それでも僕は貴方から充分過ぎるほどの愛を確かに貰った。それだけで自然と恐怖はなくなる。そう頭では思っているのに、心は連れて行ってしまいたい、とひたすらに欲している。最後の賭けに、出てみようか。
「貴方が、本当に僕を愛しているなら、お願いがあります」
「何だ」
「僕を、一人にしないで下さい…僕は貴方といたい」
「俺は、どうすればいい」
「ずるいとは分かっています。でも、それでもそんな僕といてくれるなら、これを…」
僕は本当は一気にカタをつけようと学校に手動の爆弾を設置していた。それでも中にキョン君がいると考えただけで臆病者の僕は手が震えて結局スイッチを押すことは出来なかった。それをこんな風に使おうとする僕は本当に醜い。小型のスイッチのボタンに指を軽く当て、手をキョン君に差し出す。
「これを押せば、このグラウンドも吹っ飛ぶでしょう。僕達は形も無くなる」
「俺に押してくれってか」
「そうです。それからわがままをもう一つだけ聞いて欲しい。最後に、キスだけさせて下さい」
僕はキョン君に近づく。唇が触れる感覚しか残ってはいない。僕達の背後で校舎は確実に燃えていた。今にも崩れ落ちそうで、それでも僕達は呑気にキスをしていた。舌をからめれば、キョン君の足が震えた。丁度8cm高い僕が自分の足でキョン君を支える。閉じていた目を少しだけ開ければ炎に照らされていたキョン君の顔が綺麗に僕の目に映っていた。僕とキョン君は自然と校舎の中に近づいていく。頭上には燃え盛る柱が迫っていた。僕は惜しいけれども唇をゆっくりと開いてまるで酔ったようなキョン君の目をしっかりと捕らえる。手を握ってスイッチに置いた僕の指と重ね合わせる。僕はもう逃げはしない。キョン君が逃げたいのならばそれでもいい。僕はキョン君から貰った心だけをひたすら信じて、言った。
「僕を、愛しているなら、言葉で言わなくてもいい。その代わり―――」
キョン君は、僕に触れるだけのキスをして、――――
(柱は、もう崩れ始めていた)