ある日のことだ。いつものように全く変わらない様子で俺は部室へ向かう。朝比奈さんのプリティーメイドさん姿を見るためとはいえ、他の奴らを思うと気が重くなるのは自然の事だろう。大体、SOS団の団長がきっての迷惑だ。何というか全体的に行動そのものが俺にとってはマイナスな結果以外を起こした事があっただろうか。いや、ない。ちなみにこれを反語という用法で俺でも知っているのだから知らない奴は国語の成績は諦めた方がいいだろう。俺が肩を落としながら冴えない中年男性のように歩いて行った。部室のドアを開けると、掃除当番で遅くなったにも関わらずそこに古泉の姿は無かった。他のハルヒ、朝比奈さん、長門はいつもの通りにいるのに古泉の姿が見えなかった。

すごく変な感じがした。そう言うとさぞかし頭の悪い表現だろう。ただ、言いようのない感触が俺の体を足の爪先から頭の上まで駆け抜けていく。血液と逆流していく感覚に両腕を抱きこんで震えそうになったが女々しいのでやめた。心底自分が気持ち悪い。古泉はもしかしたららしくもない風邪でも引いて休んでいるだけかもしれない。ただ、それだけだろう。そうは思っているのに嫌な予感ばかりが頭をよぎる。別に具体的なイメージが脳内で再生されているわけでもないが、黒いモヤモヤとした何かが後頭部から流れ出しているような感覚だ。

「きょ、今日は古泉はどうしたんだ?」
「さぁ?遅いからクラスに迎えに行ったら“今日は古泉君は無断欠席だよ”って言われたの。サボりかしらサボり。古泉君は後で奢り決定ね」
「へぇ…」

本当にサボりなのだろうか。勿論、古泉もとりあえずは高校一年生な訳だし、無性にサボりたくなる事もあるかもしれない。だが、閉鎖空間だの涼宮さんの精神状態だのそんな事を耳にタコが出来るほどほざいてくるあいつに限って、無断欠席なんて事があるものなのだろうか。古泉の野郎がグレた、とかそんなんか?いやいやいやそれもない。もしかすると風邪を引いて寝込んでいるが、起きられない位に酷くて連絡も出来ない、とか。って俺は何を考えてるんだ。まるでそれじゃ俺が心配してるみたいじゃないか。そんなはずはない。

それでもその日は風邪を引いたと俺自身を納得させてその日は帰った。そんな事が一ヶ月、二ヶ月と続いた。学校には休学届がいつの間にか出されていて、俺は亡霊のようにSOS団に通っていた。その日の事。いつもの通り別に大した事はしないで、ハルヒが“不思議な事は無いか”と騒いでみたり、朝比奈さんが新しいお茶を入れてくれたりそんな感じだった。長門は相変わらず読書をしているだけだった。ハルヒが帰ると言い出し、朝比奈さんも帰ると言ったので俺も帰ろうと荷物を肩に担いだ。二人の後から部室の外に出ようとしたら俺にしか聞こえないような声で長門が呟いた。

「話が、ある」
「俺にか…?」
「そう」
「何の話だ?ここでもいいか」
「いい。長い話ではない」

長門はポツポツと話し始めた。それは統合思念体の話であったり古泉の所属する機関の話から始まった。古泉の機関の方針とか、何で俺にそんな事話すんだって感じの事ばかり話していた。別に長いわけではなかったので俺は頬杖をつきながらもちゃんとその話を聞いていた。その時、長門が信じられないような、いや信じたくないような話をした。

「古泉一樹は彼の機関に拘束されている」

そんな、はずは、ない………。いや、どうしてそんな事が俺に言えるんだ。俺は何だかんだ言って古泉の事をあまり知らない。俺は、悪くない。古泉が話してくれないから。気付く。俺は何て女々しい考え方をしているんだ。古泉が話してくれない、なんて俺らしくも無い。古泉は、って俺はさっきから古泉の事ばかり考えていて気持ち悪い。それより拘束されているってどういう事なんだ。拘束、拘束。縛られてるとか、そういう物理的なのか。俺はどうすればいいんだ。古泉は、もう解放されないのか。機関っていうのは大分厳しそうな所だ、俺の予測の範囲でしかないが。もう、会えないのか。

「長門…俺は、どうすればいいんだ…俺は」
「私は古泉一樹の拘束されている場所の予測が付いている」
「お、教えてくれ…」
「ここにメモをしておいた。行くか行かないかは自由。貴方が、貴方が古泉一樹を助けたいと願うなら。私は統合思念体から行ってはいけないと命令が出された。私は行けない。古泉一樹を救えるのは貴方だけ」
「俺、だけ…」





メモを貰った俺は、夜親に友達の所に泊まるとか言い訳をして家を抜け出した。長門の地図は簡素で余計な目印がないかわりに結構分かりやすかった。行ってみれば意外と近い場所で、少し町外れのもう使われていなさそうな小さな雑居ビルだった。俺はごくりと一息飲む。喉が妙に渇いて、まるでラスボスを倒しに行く少年漫画のヒーローみたいな気持ちになった。拳を握り締めるとどういうわけか力が入ってしまって、手を開くと手のひらに爪の跡が残っていた。

スニーカーなのに階段を登るとコツンコツンという音が響いた。静かにしなければ静かにしなければと思うほど、コツン、と大きな音が響いてしまう。何故か俺は吸い込まれるようにある一つの部屋の前にたどり着いた。俺は、ひっそりと耳をドアに当てる。中から人の声がしてきた。それと、何かを打つ音。それから息の音、みたいな音も聞こえた。ドアノブを回すと、きっとこの鉄のドアノブを回せば中に古泉がいるんだろう。古泉がいて、いつものムカつくニヤニヤ顔を俺に見せてくるはずなんだ。俺は意を決して、ドアノブに手をかける。手が変に汗をかいてすべって気持ちが悪い。ギギギィーっという耳を塞ぎたくなる嫌な音がした。黒板に爪を立てて引く感じだ。俺はドアを開ける。

信じたく、なかった。機関の事情とか、そんなものは知らないし、その前に多分九割方私情で俺の頭は怒りに満たされていた。俺の涙腺はどうにかしているのか次第に涙さえ溢れ出した。心臓が、ドクン、と脈打つ。

「キョン、君…?どうして…ここに……」
「馬鹿古泉……」

古泉は皺だらけの学校のワイシャツにズボンを履いていた。ネクタイはだらしなく外れていて、ワイシャツのボタンもいくつかちぎれて取れていた。ずっと鏡さえ見ていないらしく、二ヶ月の間に元々長めだった髪は伸び、分けていないほうの前髪が片目を覆ってしまうほどだった。後ろも、襟足くらいだったのに何cmか伸びている。顔は汚れていて、殴られたような跡があったのに、相変わらずイケメンだって事は分かって少し悔しかった。その目は光を大分失っていて、俺に向けられた目は濁りながら、大きく見開かれていた。どうして俺がここに来たのか、それしか頭になさそうな顔をしていた。笑っては、いなかった。

「古泉、俺は…」
「何なんだ君は。出て行ってくれないか」
「この子供は、あの少年じゃないのか?」
「あの少年って何だよ…お前ら、古泉の仲間だろ?何で、こんな事してんだよ…」
「君になら言っても良いだろう。いや、寧ろ君だから言っておこう。君のせいで、古泉一樹は機関の人間として役立たずになったんだ」
「え…?「駄目だ!この人達の言う事を信じるな!早く…、ここから逃げるんだ!」

古泉が枯れてしわがれた様な声を張り上げて俺に叫んだ。懇願している様な顔で俺を見る。そんな顔されると、俺はそうしていいのかますます分からなくなる。立ちすくんでいると、周りに居た三人の機関の人間の一人が古泉に足を振り上げて左肩を蹴った。その反動で古泉は狭い部屋の壁に飛ばされて鈍い音を上げながら激突する。ゆらっと立ち上がる古泉の目は、獣のように蹴った人間を見据えている。俺は声が出せなかった。もはや痛みを感じていないかのような古泉を見ている事が出来なかった。

「何だその目は。お前がこの少年ばかりに気を取られるようになって役立たずになったから機関がお前に半永久的な拘束を命じたんだろうが。自業自得なんだよ」
「……っるさい、腐れ機関の言いなりが…」
「っんだと、この野郎!」

今度はそいつは悪態をつく古泉の胸倉を掴んで殴ろうと拳を振りかざす。俺は何を思ったのかそいつの腕にしがみつき止めようとしていた。

「っく、こいつ…っ、離せっ!」
「い、嫌だ…っ!」
「何をしてるんだ!キョン君、余計な事はっ、…!」
「……余計な事な訳ないだろ!!俺だって、お前が居なくなったら使い物にならなくなんだよ…っ!!」
「……!」

俺が叫ぶと、古泉の手が赤く光を帯び始めた。それはいつかに見たコンピ研の部長がいなくなった時に使っていた光の球と同じものだった。古泉はハッとしたように自分の手を見て、咄嗟に俺の体を脇に抱えてその球を三人に無差別に投げつけた。三人はその球が掠める度に火傷みたいなものを負った。勢い良く古泉はドアを飛び出すと外へと走り出した。俺はさり気なく逞しかったその腕に少し安心していた。不覚にも、かっこいいと、思ってしまった。

古泉が来た所は雑居ビルからまた町外れの方に少し行った所にある星の良く見える小高い丘だった。俺の事を下ろすとドシャッと座り込み、荒い息を浅く繰り返した。俺はその隣に座って古泉の顔を覗いた。古泉はらしくもなくひどく疲弊した様子だったが先ほどと違って目に光が宿っていた。

「大丈夫か?」
「もしかしたら、涼宮さんが僕に対して早く学校に来い、とでも思ったから力を使えたんでしょうか」
「さぁな」
「でも僕は、貴方がいてくれたからだと思うんですよ」
「は…?」
「貴方がいてくれたから…本当にありがとうございました。来てくれて、それだけで僕はもういい」
「何で、お前があんな事されなきゃいけないんだ…」
「言われたんですよ。僕の思いに気付いた機関は僕にどうにか涼宮さんに言い訳をつけてSOS団を脱退し、貴方とは接触を持たずに涼宮さんの監視を続けるか、それでも貴方と離れたくないならそれなりの対応を取る、とね。それでも僕には貴方と離れるという選択肢は選べなかった。よく冷静に考えれば貴方に危害が及ぶ事も考えられない事ではなかったのに」

俺は自嘲気味に笑って「すみません」と謝る古泉の片手を両手で包んでいた。古泉の手は光の球を沢山出したからか燃える様に熱く、でもどこか氷みたいに冷たかった。そんなに情けない顔をしていたのか古泉が「もう大丈夫ですよ、安心して下さい」と俺の体を抱きしめる。いつの間にか、立場が逆じゃないか…!古泉の腕の中でもがいてみるが怪我をしている割に古泉は俺を離しはしなかった。俺が少し仕返しで言ってみた。

「お前の思いに気付いたって、どんな思いだよ…口で、言わねえと俺、分からないだろ…」

古泉は今まで一番、ムカつくけどいい笑顔を俺に向けた。

「僕が、貴方の事が好き、という事ですよ」








(本当はものすごく心配したんだよバーカ!)


逆らえ若者達