「何か、飲みますか?温かいココアはいかがですか?」
「ん…あ、とで…」
呂律が良く回らずに、全てひらがなの発音になったのが寝ぼけた頭でも良く分かった。何を思ってか、初めて自転車に乗れた後家に帰ってから疲れて幸せそうに眠ってしまった子供を見守るような微笑みで目の前のニヤケハンサムを肌身離さず常備した男は柔和に見てきた。何がおかしいんだこの野郎。「お疲れですか」と言って、細くて長くて女みたいに爪がピンクなくせに節々がしっかりとした指でまだ力が戻らなくてベッドにだらしなく横になっている俺の髪の毛を撫でた。あんまりしつこく指を絡めてくるもんだからうっとうしくなって手で払おうとベッドに優雅に腰をかけて長い足を組んでいる奴の顔を睨むと払おうとした手はもう片方の手に絡め取られてしまった。俺の手を握る、という形から自然と、それはもうナチュラルに指と指を絡めてきやがった。お前はイソギンチャクみたいだな、本当。子供のように体温の高い古泉の指から俺の指へ、熱湯に氷でも入れたみたいにあっという間に伝わってきて、溶かされるような感覚がした。小さな子供のような温かさの中に宿された熱い本能の熱、みたいなものが感じられた。何言ってるんだろうな、俺。
「キョン君の髪はとても綺麗ですね、優しい色をしている」
「だったらそれを見習って少しはお前も優しさってもんを学べ。体中が痛くてかなわん」
古泉はごまかすように眉の端を下げて笑った。こいつちゃっかりやんわりと流してやがる。ああ、分かってたさお前が都合の悪い話は某団長様の如く聞こえないふりをすることくらいな。思えば、その、なんだ、そういう事をする時の古泉はいつも通り余裕ぶっているようでその実手荒く人の体をこねくり回してくる。そのせいで終わった後の体の痛さは思い出して気恥ずかしくなるほどだったが、それが古泉の素で、発散させるのが俺の前だけだと思うと痛みさえも心地よく感じるのは相当絆されてる証拠だろうな。こいつはただのイエスマンなだけでいたときほど、何にも持っていなくて、人を寄せ付けない鋭さを持っていた。だというのにどうしてか厄介ごとに巻き込まれると分かっていて口出しせずにはいられないのが俺の困った性質で、「お前の本当の顔はどういう顔なんだ」と見事に地雷を踏んでしまった。その時の古泉の表情といったらいつか俺が年を取って痴呆症を患ったとしても忘れない自身がある。悲哀だったり、驚愕だったり、それから恐怖。弱弱しい声で「貴方の事が、大嫌いです」と言って俺を抱きしめた。言っている事とやっている事が矛盾しているぞ、と抗議しようとした。抱きしめる、ってのは好きな奴にやるもんだって小学校で習わなかったのか。あ、小学校じゃそんなのやらないな。だがその抗議より先に俯いた古泉が長い前髪で目を隠して言ったのだった。「好き、という言葉では本心だと信じて頂けないはずです。何せ“僕”は何に対しても誰に対しても好意的なイエスマンですから」と半ば諦めたような口調で言った。忌々しいことに8cmも上にある口から、静かに嗚咽が洩れているのを聞いて俺は俺よりも少し大きい背中に腕を回した。そんなことを思い出して緩みきった顔を見られないようにうつ伏せになって枕に顔を埋めた。初めて古泉の部屋に来たとき、古泉は枕もパジャマも持っていなかった。本人曰く、この家には寝に帰っているだけだと呆れるぐらい自分の事には無頓着なやつである。こんな休日、ホームセンターで古泉に買わせたのがこの枕だった。俺が選んでやったのが相当気に入ったのか、古泉がその枕を使わない日はなかった。そのせいか顔を埋めた枕から、古泉の匂い、がする。言っておくが別に変態的かつ動物的な意味は断じてない。古泉がベットに倒れこみ、後ろからじゃれる猫のようにのしかかってきた。のしかかる、と言っても特に体重はかけてこない。手に平だけでも充分に伝わってくる体温が、俺の体を包む。
「温かい」
どこか嬉しそうに後ろから零された言葉に、温かいのはお前の方だろうが、というツッコミを内心で入れた。首に吸い付くと小さな音を立てる。痕がつくだろうがばかやろう、と言おうとしたが何度も何度も繰り返されるこれに言うタイミングを逃してしまった。古泉から合間洩れる吐息が熱を含み始めたことに気付く。お前は本当に万年発情期の兎みたいだな。その兎に不本意だが毎回美味しく頂かれてしまう俺は人参か何かなのだろうか。だったら謹んで遠慮願いたいね。俺は子供たちに嫌われる悲劇のヒーローにはなりたくないからな。兎に齧られる萎れた人参も遠慮したいが。「貴方は萎れてなどいませんよ、寧ろ勃っ」心を読むんじゃねえよ馬鹿古泉。大体今何て言おうとした?もう一回言ってみろ、そしてすぐさま歯を食いしばれ。って、何をしているんだお前は…。そりゃあ今の俺の格好は素っ裸にワイシャツ一枚という美少女がしていたら世のマニアどもが放っておかない状況だが俺は図体のデカイ(と、信じたい)男で、そんな男のシャツの裾を捲り上げて何が楽しいんだかな。俺が睨むだけで遠まわしに拒否をしているのにこいつの目にはそんな事は微塵も汲み取ってもらえんらしい。ああ、分かってたさってこれを思うのは二度目だな。
「…っひっ、あ…!!」
喉の奥から不意に繰り返しておくが不意に出てきた声に反射的に口を押さえる。そりゃあいきなりあんな高い声、俺の声なんて思わないだろ。妙に上ずってて自分でも気持ち悪いと思う。それなのに後ろにいる古泉が普段のニヤケ面が3倍増し位になっているのなんか見なくても分かるさ。お前、うざいぞ。口に出す間もなく古泉の他に脳みそがあって、意思でもあるんじゃないかと思う両手がいつの間にか俺のシャツのボタンを全て外していて、その中を這い回っていた。古泉の息はまだ荒くはなっていなかったが風邪でも引いていそうな位熱くなっていた。変な声がうっかり出てしまわないように意地で口を閉じていると自然と鼻呼吸になるわけで、逆に自分の息が辛くなっているのが分かりやすくなってしまった。古泉の指の爪が、乳首の近くをカリ、と掠めただけで俺の頭には電流のようにビリビリと刺激が走る。「ふふ、可愛いですね」、じゃねえよこんな風に女みたいにさせたのは誰だってんだ。
「僕、ですね…」
そう呟くと古泉は黙って焦らさずに初めて俺を抱いた時みたいに汗を少しかいた手で俺の体を意味もなく何度も角度を変えて抱きしめた。指が、色んな所を掠め、俺はくぐもった声を出した。俺の首に後ろから顔を埋めて俺の腰を片手で押さえ込んでもう一方の手で俺を、いきなり握ったのだった。突然の痛みに、俺はうつ伏せになっていた枕に爪を立てて布に皺が出来る位に握り締めた。そうしないと多分俺はそれこそ女みたいにあられもなく声を上げていただろうからな。古泉は俺があからさまに痛そうにしていると言うのにそんな事お構いなしのように5本の指を不規則に握ったり、擦ったりしてきた。
「っ…う、くっ…」
俺が声を我慢しているのが気に入らなかったのか何なのか、俺を握っていた手を後ろに持っていった。今まで何回も古泉とそんな事をし、散々ほだされてしまった(ああそうさ、俺は古泉が好きだ)俺の体は感じる圧迫感や痛みさえも快感に変換するという便利機能を無事インストールさせられたもんだから喉から出させろとやかましく騒ぐ声を抑える事など動物園から逃げ出した猛獣どもを捕まえる位無理難題な事であった。古泉はそんな一杯一杯な俺を抱き上げて仰向けにすると向かい形になった。見上げる古泉の顔はいつも鬱陶しいと思っていた髪で隠されて見えない。古泉が焦ったように入ってくるのが分かる。古泉に促されて俺は枕の代わりに古泉のいつの間にかシャツを脱いだ肩を掴んだ。
「…っやあっ、だ…、こい、ずみ…っもっ、ひっ…い、」
「……こんな風に、」
古泉がポツリと洩らす。俺はみっともない声を上げながらそれを聞いていた。
「…はぁっ、あなたを、こんな風に、」
「ん…っ、あぁっ、…は、」
「してしまったのは、僕です、だから、」
「こ、いずみっ、こいず、みっ」
「責任を取ります…、僕と、」
「い、つき…っあぁっ!」
俺が限界を迎えている間、古泉は俺の事を目を見開いて見ていた。俺は、今何て口走った?確か、いつき、と言ったような気がする。こいつの事を一樹、と呼んだのか。古泉が泣きそうな顔で俺を見てくるから、俺は爪を立ててしまった肩を離し、古泉の頭を腕で包んだ。呆然としていた古泉は我に返ったのか俺の背中に腕を回して言った。
「僕と、結婚して下さい…」
* * *
「マサチューセッツがいいですね」
「何でだ?」
「小さい頃、僕の趣味は天体観測と、野球だったんですよ」
「それでか」
「ええ」
「いいんじゃないか」
俺が別にこれといった考えもなしに了承の意を述べると、古泉は予想していなかったご褒美をもらった子供みたいな顔をして喜んだ。まあお前がそんなに喜ぶなら俺もそれでいいさ。夫婦たるもの、お互いの意見を尊重するもんだからな。というか夫婦、って、恥ずかしいじゃねえか、畜生。
「神に許された後は、法にも許してもらえれば僕達はずっと一緒ですね」
「ハルヒ、に言ったのか?」
「ええ、涼宮さんは薄々感ずいていらっしゃったようで涼宮さんの力が失われてから僕達の事をどう見ているのか聞いたんです。そうしたら何と、女性陣は皆さん知っていらっしゃいましたよ。貴方に結婚の事を伝えるまでは貴方に知っている事を隠していてもらったんです。プロポーズする、と言ったら体中を叩かれて“男なら行って来らっしゃい!”とずばりと言われてしまいましたよ」
正直、ぽかんとしたね。あいつが、知ってた。今まで俺達はあいつにだけはバレないようにとビクビクしてたんだがな。いとも簡単にバレてたってわけかい。ま、バレないようにしていたあのスリルも楽しんだって言ったら少なからず楽しんだんだがな、俺としては。古泉はいつもの微笑みと似たようで少し違う、少しいつもの微笑みよりか幼い笑いを満面に浮かべてベッドの上で俺を抱きしめた。
「今日はクリスマスだからある意味神様とやらに逆らってるんじゃないか?こんな不健全な事を一日中」
「先ほど日付が変わり今日は26日ですよ、幸運なことにね」
「ああそうかい」
ならいいか。と俺は古泉が花でも乱舞するんじゃないかと思うほどの笑みで俺を抱きしめたりキスしてきたのを拒まず、そのまま気の済むまでやらせてやった。こいつは相当の甘えたがりのようだ、やれやれ先が思いやられるぜ。古泉は満足して眠くなってきたのか少しうとうと始めた。それを見ていたら俺も何だか眠たくなってきて瞼が重力に負けそうになった。視界がなくなっていくカウントダウンが頭の中で開始された時、古泉が寝言が起きてたのか、俺の下の名前を呼び捨てにしたのが聞こえた気がして眠ったはずなのに心臓がうるさいのが体中に響いた。俺も、古泉を“一樹”と呼べるようにならなくてはいけないな、なんておめでたい事を考えながら俺は本当に眠りに落ちた。