柳生比呂士・仁王雅治編





僕の事 愛してくれますか? 前編






「よろしくお願いしまーっす!」
立海大付属中学校のグラウンドの辺りから、テニス部の掛け声が響いて聞こえる。こちらの高等部と同様、放課後すぐから練習が始まるのだろう。
とはいっても、高等部の時間のスケジュールと中等部のそれでは度々相違がある。
現に今も、中等部では放課後となっていても高等部では一日の最後の授業時間の真っ最中であった。
仁王雅治は、窓際、一番後ろという学生にとっては絶好のポジションの席に座りながら特に何も考えることはなく頬杖をつき、ボーっと窓の外を眺めていた。
所々、白い雲は見えたが、やはり春先の空は穏やかであった。その分、威勢の良い中学生達の声は良く耳に轟いた。
これを春の陽気、というのだろうか。仁王は眠気を覚え始めた。
すると不意に隣の席の生徒に肩を軽くつつかれた。
「また居眠り、ですか?」
そう言いつつも全く責めたりする様子の無いその生徒は柳生比呂士である。
居眠りを指摘しながらもどこか楽しそうな柳生はクスッと笑みを洩らす。その反動で決め細やかな栗色の髪が揺れた。
「春だから、眠いんじゃ」
「仁王君の居眠りは一年中でしょう。それとも居眠り、というより昼寝ですか?」
柳生の指が眼鏡を上げる。仁王はその動作を無意識の内に目で追っていた。
もう一度おもむろに視線を窓の外の中等部のテニスコートに移す仁王の姿を見て、柳生もそれを見ようと少しだけ首を伸ばす。チラッと一度だけ視界にそれを入れると柳生は再び仁王の方に顔を向ける。
「頑張っているんでしょうね、切原君」
「そうじゃろうな、なんたって部長じゃけえ」
「それに、真田君の後任ですからね」
そう、新立海大付属中男子テニス部部長はまるで問題児代表の様な部員であった切原赤也であった。
赤也を部長に任命すると、幸村、真田、柳を中心として三年生が全員一致で決定した時、その決定に最も驚いたのは赤也本人であった。
この頃、赤也は試合において相手に入院を要する程の怪我を負わせる位に冷静さを欠くことも無くなって来ていた。これは明白な赤也本人の成長の証でもあったし、更に赤也自身王者立海を率いる立場・学年となる心構えのような物が出来てきていた事も事実だった。
そして三年生になり、無事部長となってからというもの、赤也も大分頼りがいのあるようになってきたものだ。
「今日辺り、少し遊びに行ってみましょうか?」
「今日は部活があるじゃろ、真田に怒られるけぇ」
「今日も、でしょう。第一可愛い後輩の様子を見に行くのに怒られる理由が分かりませんね」
「柳生も悪いのう」
「私が言わなければ貴方がどうせ言っていたでしょう」
「バレとったか」

時間は早いもので、とはよく言ったものだ。
そんな会話をこっそりとしている内にいつの間にか授業はほとんど終了していて、終わりを告げるチャイムがスピーカーから無機質に流れた。
HRを適当に済ませると、特に急ぐことはなかったがすぐに柳生と仁王の二人は教室を出て中等部の敷地へと足を運ぶ。



* * * 



中等部のテニスコートでは、球を打ち合う後味のいい音が幾多と響いていた。
「あっ、柳生先輩と仁王先輩じゃないっスか!」
柳生と仁王がテニスコートの中に入ると二人が声を掛ける前に赤也が二人に気付き駆け寄ってきた。その様子は以前と全く変わっていない。
柳生と仁王は思わず笑ってしまった。
「何笑ってんですか!」
「いや、変わらんなぁ思ったんじゃ。ブチョさん?」
「本当、切原君らしくて安心しました。変に大人な切原君など気味が悪くて見たくありませんからね」
「柳生先輩は人が悪くなったんじゃないですかぁー?」
「何言っとんじゃ、柳生の本性がこんなもんじゃと思ったら大間違いやけえ」
「ええっ!そうなんスか?」
「仁王君、悪い冗談はやめたまえ」

何だかんだと言って、数ヶ月前の思い出話に花を咲かせてしまった三人は大した事をするでもなく過ごしていた。
日は暮れはじめ、生徒達に定められた下校時間も近づく。
柳生は腕時計を見て言った。
「そろそろ私達は帰りますか」
「そうじゃの」
「あ、じゃあ先輩!あの、久しぶりに前みたいにマック寄ってかないっスか?」
「…悪いな、今日は俺達用事があるんじゃけぇ、今度な」
「そうなんスか」
「じゃあな」
「先輩!」
「ん?」
「今度は、行きましょうね!皆誘って!」
「ああ」
「約束っスよ!」



* * * 



夜のネオンが煌くホテル街。そこに二人の待ち合わせていた千石はいた。
いつもと同じ陽気な雰囲気は出ているがどことなく艶かしい香りがするのはこの場の雰囲気のせいだろうか。
「こんばんはー」
「遅れてすまんな、千石」
「いいっていいって。俺も今来たとこだし」
「で、私達は聞いていた通りの事を行えばいいと」
「そうだよ、ちょっとココで待ってると来るからさ」
三人は待つために一本の路地の入り口の辺りで立っていた。何となく、という感じで千石が口を開く。
「でも、君達もよくこんな事やろうとするね」
「まぁ、金のためじゃし」
「だからって高校生はもうバイト出来るじゃん」
「私達は使おうとする用途が用途ですし、アルバイト程度の金銭ではとても足りませんのでいっそこういう手段の方が自らの戒めとなりますしね」
「難しい言葉使うなぁ。ま、夢が大きいんだね。どんな形であれ」
「千石は随分ここに入り浸ってるみたいじゃの」
それを聞くと千石の笑みが一瞬だけ消えた。空を仰ぎ、街行く人々の雑踏を耳に入れる。鼻を利かせれば、辺りは煙草のような香りに包まれた。
煙草を吸う人々が決して多いわけでもない。ただ、煙草特有の煙たい香りが鼻を突く。
千石はアスファルトの地面を見下ろして、無意識の内に目元を髪で隠し見られないようにして自嘲気味に言った。
「ここは俺の、一種の居場所だからね」
「それでも、どんなに穢れていようと居場所が手の中に存在するなら良いでしょう」
千石は顔を上げた。柳生の方を見る。
すると、いつもは目元の窺いづらい眼鏡のレンズの奥に零度の、しかし温かい目が僅かに窺えたような気がした。
千石は不思議そうな顔をする。柳生は仁王に一度笑みを向けると優しい教師のような話し方で千石に話した。

「私達は、居場所を創り上げるために、このような行為に及ぶのですから」