「少し、話をしても構わんか?」
その翌日の部活が終わった後だった。柳生と仁王は、昨日の事など無かったかの様に振舞っていて、その姿はごく自然であった。
柳生自身、少しやり過ぎたか、とは思っていたが極力部員達を含め周りの人間に様子のおかしさを察知されないようにした。元々柳生も仁王も演技力がある方だったので、不審に思う者はいなかったようだった。
それぞれが部室に入ってジャージから帰るため制服へと着替える。
既に着替え終えていた真田が、よほど人に知られたくない事なのか柳生のみに聞こえる様にそう言った。
ネクタイを締めている柳生は無言の了承のサインを出す。
一人、二人と部員が帰っていく。仁王は柳生を帰りに誘った。
「すみません。少し呼ばれているので、ね。先に昨日の場所に行っていてもらえますか?」
「うん、分かったけぇ。早くせぇ、待っとぉよ」
「仰せのままに」
柳生がそう言って仁王の手の甲に唇を落とすと、仁王はご機嫌、という風に物分り良く部室を出て行った。
柳生はそれを見送り、真田が待つテニス部のコートへと足を運んだ。
* * *
「お話、とは何でしょうか」
「ああ、その事だが…」
真田が少し気まずそうに目を泳がせた。柳生の眼鏡のレンズに隠れた瞳は真田をしっかりと捕らえていた。
コートは練習の後であり、すでに日は完全に沈んでいた。冬と比べ、大分伸びてきた日の光に頼りながら、真田は覚悟を決めた様に柳生の正面に立った。
「お前と仁王は、何故昨日部活に来なかった?」
柳生は怪訝そうに眉を寄せた。しかしそれをすぐにいつもの微笑を浮かべた顔に戻す。
何故、そのような事を聞くのか。それは真田の事だから分からないでもないがそれでは何故わざわざ気でも遣った様に二人きりになって聞くのか。
何と言っても真田であれば部員全体の前で理由を聞きだし説教を始めても全く不思議ではない。
それでいて、あえて部員の目に付かない所で、更に柳生一人を呼び出す必要はどこにあったのだろうか。柳生には皆目検討が付かなかった。
否、付いたとしたら一つしかなかった。
昨日の事がバレていた、としか言い様がない。柳生は考える。
あそこには自分と仁王と千石以外の知人はいなかったはずだ。千石曰く、いつも周りには細心の注意を払うのだと。また、その時自分が何処にいるという“設定”かをきちんと考えておくのだと。
そうすれば万一見かけられたとしても、言い逃れが出来る。
まだ、バレたとは限らない。例え、知っていたとしてもそれは人伝の情報であり、真田自身が見た訳ではないだろう。
柳生は、話の中に見つかってしまう手がかりとなるキーワードを出さないように、注意を払った。
「昨日は、切原君の方に部活の様子を見に行きました。そうしていましたらつい話し込んでしまいまして。無断で欠席した事は申し訳ないです」
「そこまでは赤也の方に聞いている」
「では、何故改めて聞く必要があるのですか?」
「それ、は…ある人物から聞いたんだがな、その、何だ…お前と仁王がホテル街、やらにいたと…」
柳生の体に戦慄に似たものが走った。しかし柳生の脳内では予測の範囲内だった。
恐らく、タレこみをしたのは赤也自身であろう。不自然に感じた赤也がこっそり尾行してきてしまっても赤也なら戸惑い無くホテル街に入ってしまってもおかしくない。
それ自体に柳生は怒りは感じていなかった。寧ろそんな後輩を可愛いとさえ思っていた。
千石自身もこういう事がつい最近にあったと言っていた。後輩に聞かれたと。
柳生は全く慌てることなく眼鏡を上げて、あくまでも微笑みながら聞いた。
「では、聞き返させて頂きますが、それを聞いてどうして私のみを呼び出したんです?」
「それは、あー、蓮二に相談したらだな、“主導権を握っているのは恐らく柳生だ”って聞いてだな」
「……主導権、と何の事でしょうか?」
「…これは幸村からの受け売りになるが、“二人、つまり柳生と仁王は浅からぬ仲にある。もしかすれば、性的な関係もあるかもしれない”と」
「ご説明はありがたいのですが、何の事だかよく私には分かりかねました」
柳生は、コートのベンチから腰を上げる。
やれやれと言う様に肩をすくめると「私は帰ります」と残された真田には目もくれずに歩き出そうとした。
真田は急いで呼び止めた。
「これだけは、聞いておきたい」
「何です?」
「お前と、仁王は、お互いに何なんだ?」
「…仮にそうであったとして、真田君はどうするというんですか?」
「部の妨げになるようなら、認めない。それだけだ。そうならないなら俺は何も言いはしない」
「………どうしても邪魔をなさるなら、消えていただきます」
柳生は振り返らずに射抜くような目線だけで真田を見た。その目線の鋭さに、真田でさえ何も言えなかった。
柳生の言葉が何を意味するのか、真田ははっきりと理解したわけではなかったが、それでも柳生の言葉に普段の温厚さが微塵も含まれていない事は分かった。
柳生は本気だ、と。
再び歩を進めた柳生が一度だけ立ち止まった。そして真田に背を向けたまま、言った。
「もし、今の君の位置に幸村君がいたとしても、私は同じ事を言っていたでしょう」
その言葉を真田は黙って聞いた。
柳生が去る時も、ずっと真田は何も口にはしなかった。
誰も居なくなったコートの中央に一人真田は佇んでいた。帽子を脱いで右手に持つと、コートに精一杯叩きつけた。
悔しそうに歯を噛み締める。
俯く真田の周りに、春先にしては肌寒い風が吹いた。
「……っ、くそっ…俺は…どうしてああいう言い方しか出来ないんだ…!」
* * *
「すみません、遅くなりました」
「本当じゃ、遅いけぇ柳生」
「ま、良いけどー、お客さんに連絡しちゃったからもう待つだけだよ」
千石はへらっと笑って柳生に携帯を見せた。連絡した、という意味なのだろう。
一人のスーツを身に着けた年配の男性が三人のもとに近寄ってきた。それを見て千石は手を振る。
千石が柳生と仁王に、「俺のお客さん来たからお先行くねー」と耳打ちをして、走って行った。
「パパー!待ったよぉー、もぉー、おーそーいー」
いきなり甘ったるい声を出し始めた千石を見て、仁王がふざけた様に柳生の腕に絡みつく。
「な、俺もああやってやった方がええかの?」
「それで顧客がついてくれるのでしたらそちらでも構いませんよ」
「なんじゃ、柳生。冷たいのぉ」
「私は、真剣にこの“仕事”に臨むつもりです」
「や、ぎゅう……」
「私達の、幸せの為に」
「俺達、の、幸せ…」
仁王は何か思いついた様にポケットから一本のヘアゴムを取り出した。そして髪を束ねているゴムと取り出したゴムを結びかえる。
柳生はそのヘアゴムを見て「仁王君…君は…」と呟いた。
「これ、柳生が初めてくれたもん。俺の真剣だって気持ち、ここで見てて」
仁王は結んだ髪を指差した。妙にはしゃいでいる仁王に、柳生は苦笑を洩らし、「ハイハイ」と言った。