こっち見ないで
醜いから
汚いから
別に好きでなってるわけじゃないのに
なんで俺だけ
こっち見ろよ
お前らもそのまま汚くなれるから
お前らなんて
堕ちれば良いんだ
俺みたいに
明るい髪が真っ白な独特の制服に良く映える。朝、学校の教室ではどこもかしこも生徒達のお喋りで充満する。
別にうるさい、やかましいとか感じない。時々自分もその輪の中に入り込む訳だし、そんなに居心地の悪い場所でもない事を千石は知っているから。
何も知らない子供の頃のままだったら楽しくて仕方が無いはずなのに、自分は子供のままで居られなかった。誘われれば陽気な声を出してお喋りに混じるがどうでもいい時は机に突っ伏してひんやりとした木材の感触を楽しむ。
時が戻せるとはまるで思っていないし、そうも思わない。例え時を戻したところで楽しかった時間に戻る事などないし、そんな過去を持ち合わせた覚えもない。
寧ろ時を勧めたいと思うのは千石だけなのだろうか。
時が進み、自分に子供のような反俗世界を望む心が無くなるいつの日かが来れば良い。そして、時が進み、愚かな女が年老いていなくなる日が早く来れば良い。
学校の机の上の頭がそう考える。
へらへらした軟弱な、それでいて鋼鉄のような仮面はもう薄れてきたのか。
自分の意外な精神の弱さに千石は自嘲する。学校でさえこんな事を考えられる。一人になれば思考の世界に囚われる。
「千石、まさか授業中もそれで通すつもりか」
顔を上げれば南が前の席に居た。高校に上がると、千石と南は偶然同じクラスになり、席も前後になった。
それからというもの、中学校の時も酷かった南の世話焼きがいっそう酷くなってただの父親と教師の中間のようなキャラになっていた。
千石は南に曖昧に挨拶を返し、再びだるそうに机に突っ伏す。
南はそれをさほど気にする事も無く、千石に話しかけ始めた。
「今年の中等部の方も凄いぞ、室町が新部長で頑張ってくれてるしな、壇もレギュラーに入ったそうだ」
「え、マジで、壇クンやるなぁ。まだ二年なのにね」
「ああ、沢山練習してたからな」
「ホント…皆頑張ってるよ。どんどん上に行って皆の脚光を浴びるんだよ」
「何言ってんだ。お前だってこれからも浴びんだぞ。高等部でも全国は行けるし、お前も俺ももうレギュラーになれたじゃないか」
「そだね」
「今日は練習あるって先輩が言ってたからな、ちゃんと来いよ」
「はいはーい」
そう言って南は向きを変えて自分の机の方に向きなおした。千石はなおも机に突っ伏す。
話していたのが南で良かったと心底思う。
南はあまり深い事に追求しないでくれる。鈍いとも言うが、それはそれでありがたい。
変に勘ぐられても困るし、そうなったら交流を断ち切らねばならない。生きるために。
授業に入っても千石はだらしなく机に伏せてで寝ているかボーっとしているかだった。
実際授業なんて大人になってからどれくらい役に立つのか、寧ろ全くと言って良いほど役に立たないだろう。
例え同じ仕事をしていたとして、分数の計算までしか出来ない人と、ベクトル方程式とかがサラサラと出来る人が居たところで、その仕事においてベクトル方程式が全く使われていなければその人のベクトル方程式の知識など何の役にも立たないゴミに過ぎない。
大体、千石自身、頭は良い方で、そこまでしっかり聞いていなくても少し後から教科書を読めば満点とは行かなくともそれなりの点数は取れる。
それなのに真面目に授業を受ける必要が何処にあろうか。
今自分に必要なのはこんな無駄な話と時間ではない。
誰かこんな事を聞く位なら、あの愚かな女から逃れる方法を教えて欲しい。
そう思いながら、千石は深い世界へと潜って行く。
* * *
「結局お前ずっと寝てただろ」
「メンゴメンゴ!だって眠いんだもん仕方ないだろー?」
「だもん、じゃない!」
「わー、南が怒ったー!」
部活中、隙を見ては南は千石を叱った。それすらも本来ならば楽しいお騒ぎのはずだった。
走って逃げていた千石は南が見ていない時を見計らってサッと部活を抜けた。もう戻るつもりはなく、さっさと制服に着替える。
何となく、まだ南と騒いだり、他の友人と話していた余韻が残っている内は帰りたくなくて屋上へと登っていくと屋上には不良の代表のような感じで亜久津が煙草をふかしていた。千石はそこまで近寄り、座り込む亜久津の隣でフェンスによっこいしょ、と寄りかかった。
「てめぇ部活どうした」
「抜けてきた」
「そうかよ」
それで済んでしまう亜久津との会話はなんだかんだ言って気に入っていて、一番話しやすかった。
下手につるんでいる不良よりか大人たちにとっては扱いづらいだろうが、対等な人間と話すならばよっぽど性質が良い。
千石が手を出して「一本頂戴」と言うとチッと舌打ちしながらも丁寧にライターを付けて渡してくれた。千石は慣れた手つきで煙草を口に銜え火をつける。そしてライターを返す。
「慣れたモンじゃねえか。お前は吸った事なさそうだったのによ」
「うん、初めてだよ」
「その割には手付きが良すぎんだよ。俺でも最初はそんなに決まんなかったぜ」
「まぁ…一杯見てきたしね。それ以外も」
「俺には関係ないがな」
「そうだねー、…てか初めてだよとか慣れてんなとかって何かエロい」
「馬鹿かこの万年発情期」
「発情しすぎで体が持たないよ」
「…そうかよ」
亜久津は恐らく分かっている。千石にもそう感じ取れている。
しかし亜久津だからこそ大人の汚い一面を見てきたのだろうし、それに関して何も言ってこない。
胸に残る嫌悪感が消える事は無いが、罪を一部でも共有している気にはなれる。
何と言っても、微妙な距離感が心地よい。
そんな時、屋上に誰かが登ってくる気配がした。
千石と亜久津は一応サッと煙草を足で踏みにじって消す。千石の足には、少し力が込められていた。
重いドアが開く。
「千石先輩いるですかー?」
「何だぁ〜壇クンか」
「ハイです。亜久津先輩もいるですか!聞いてください!僕レギュラー入りしたんですよ!」
「そうか」
「亜久津先輩のおかげです!」
「良かったね、壇クン。で、本題は?用があるからここまで来てくれたんだろ?」
「あ、ハイ。え〜と…」
太一は亜久津の方をチラッと見た。亜久津にはあまり聞かれたくない話らしい。
千石はそれに気付き言う。
「あー、別に亜久津の前だったら言っても構わないよ?」
「えーと…その、じゃあ、千石先輩が昨日おじさんと…えっとそのいかがわしい所にいたってホントですか?」
千石は内心でしまった、と思うがこんな事は予想できない事ではなかったし、実際何回かあった。
そこで誤魔化せない千石でもない。
亜久津は別に何の反応をするわけでもなく、つまらなそうにしているだけだ。
「間違いじゃないかなぁ、昨日は俺町で可愛い子探してたし」
「あ、そうですよね!ごめんなさいです、何か変なこと聞いちゃって、噂で聞こえてきて気になっちゃって…」
「いいよいいよ。どうせ間違いなんだし。じゃ練習頑張ってね、レギュラー?」
「ハイです!」
そう言って太一は元来た道を戻っていく。
それを表情無く見送る千石。屋上のドアがガタン、と閉まると千石の普段纏う朗らかな雰囲気は一気になくなる。
千石はおもむろに携帯を取り出すと受信メールを見た。携帯を閉じると普段の笑みで亜久津に言う。
「俺、そろそろ帰るから、じゃあまた明日ねあっくん」
「あっくんじゃねぇよ」
それだけの会話。
それでいい。
* * *
「メンゴ、遅れちゃったママ!」
「良いのよ、別に。それよりご飯食べていきましょうか、勿論奢るわよ」
「えっ、マジで超嬉しい!ママ愛してるよ」
「フフ…嬉しい事言ってくれるのね清純君は」
どうせ今日もママという言葉にだって母親という意味は無い。
目の前にいるどう見ても面食いで若い男と宝石類が好きそうな中年太りの女に心底吐き気がした。
それでも、執拗に頬などを撫でてきたり、腕を組んでくる女をあしらったりはしない。
ファミレスで適当に食事を済ませればやる事は一つ。いつもの繰り返しに過ぎない。
安っぽいベッドの上で、女が喘ぐ所為でベッドの軋む音が生々しく感じられる。女の長めの髪が愛撫を繰り返す腕にまとわりつく度に鬱陶しくなって力の限り引っこ抜いてやりたくなる。どちらのものかも分からない汗が千石と女の体を湿らせる。
妙な粘着感が苛付く。
千石は自分の下で喘ぐ女を本気で蹴り飛ばしてやりたいとも思った。
キスなんて向こうからしてこない限りしないし、ねだられても触れるだけで止める。
こんな汚い女と触れ合うから自分も汚くなる。そう千石は思えてくる。
「んぁっ…はぁっ…」
喘ぐ女に本当なら一つも欲情なんて出来ない。こんな中年女だったら変態男に抱かれていた昨日の自分の方がまだ艶っぽいのではないかと千石は思う。
「も、清純君…来てぇ…」
それに何も言わず強引に入り込む千石。勿論避妊は怠らないし、怠った事は一度たりともない。
下手に妊娠されて責任問題にされても困るしこういう女に限ってそういう事にうるさいのだ。
八つ当たりのように女を抱いた。それでも女の姿に千石が欲情する事はなく、女が果てて眠った後、千石は中途半端に沸きあがった体の熱を静かにホテルの部屋のトイレに行って沈める。
「…っ、くっ…はぁ…」
自分で沈める熱は、虚しいと思いながらも人に促されて達するよりずっとマシだった。
男相手に抱かれるときは男の前で果てないといけないが、それは千石にとって屈辱を感じたが、回数を繰り返せば慣れた。
相手には様々いたから、相手の前で自慰させられる事も多々あり、こんな事をするのは別に構わなくなっていた。
これが終われば、後は女を起こして金を受け取るだけなのだ。
それまでは、こうして体の昂ぶりを沈めるだけ。
「はぁっ…んっ…はぁ…俺も、淫乱、…になっちゃっ、たなぁ…」
千石は荒い呼吸で呟く。
「…あと、少し…あの女が、いなくなるまで…」
手が汚れ、同時に心が汚れていった。