ほら、またそうやって
貴方は何も見ようとしない
貴方は何も聞こうとしない
現実を自分を周りを時間を
見ようとしない
怒声を悲しみを泣き声を叫びを
聞こうとしない
私立氷帝学園中等部、本年度男子テニス部部長である日吉若は部室でいつものように部誌をつけていた。
去年の部誌を時々パラパラと捲りながら、首を捻りまとめている。何せ昨年度部長であった跡部景吾の影響は大きすぎた。万人から、一斉に期待・声援を受けながらきちんとそれに応えていた。
それが例え全国の成績が準々決勝敗だとしても、だ。
あの試合は白熱したし、二勝三敗という惜敗だった事もあり、皆が負けを責めるのではなく、かけてくれたのはねぎらいの言葉であった。
その後任とあらば、比べられる事は一目瞭然であった。ただ、そんなプレッシャーさえも日吉を奮い立たせる要因にもなるのだから、日吉もあながち跡部のようなスター気質を備えているのかもしれない。そうは言っても日吉はあのような派手好きでも目立ちたがり屋でもないのだが。
部誌を書き終わると、日吉はレギュラーを中心に各部員の事をまとめたノートを取り出す。
それを適当に捲っていると、関東地区の青春学園や立海大付属を始めとする有名校の現レギュラーの名前をメモしているページが目に留まった。
そして日吉は気付く。
去年の三年生には実力者が固まっていた。
だからといって今年も居ないわけではない。
立海の切原赤也は何といっても注意すべき選手であるし、青学には桃城武、海堂薫、そしてあの越前リョーマがいる。不動峰はほとんどが去年のままだ。ルドルフの不二裕太もまたぐんぐんと力を伸ばしているし、六角は葵剣太郎や天根ヒカルもいる。山吹の壇太一も元々は何て事なかったがこれからどんどん強くなっていくだろう。そういう才能を少なからず秘めている。
日吉は、それを見ながら息をついた。
そして氷帝のレギュラーを見る。
全国出場者である日吉若、鳳長太郎、樺地崇弘がそれぞれシングルスの入っていた。
長太郎は宍戸と氷帝きってのダブルスペアであった為シングルスにするのは危ぶまれたが、一年で長太郎は凄まじい進歩を遂げ、シングルスでもやっていけるほどの実力者になっていた。
今年のダブルスも中々良い線を行っている事は確かだが、忍足・向日ペアと鳳・宍戸ペアが抜けた穴は大きかった。
この悪条件の中、日吉はどうしたものかと思う。
ノートを閉じて、棚にしまうと鞄を持ち上げ、帰宅する準備をする。
その時、部室のドアが開く。日吉はまだ残って練習していた奴が居たのか、と少し感心に思った。
「日吉日吉!先輩達が来てくれたよ!」
「チッ、鳳かよ」
長太郎が現れる。その後ろから、懐かしい顔ぶれがぞろぞろと入ってきた。
懐かしい、と言っても高等部に進学しただけなので時々顔を合わせる事も無くはないがそれでもこの部室で集合するのは一味違った。高等部のテニス部の日にち、部室は違うのだ。
跡部はあまり変わっていない部室を一瞥すると相変わらず変わらない口ぶりで日吉に話しかけた。
「久しぶりじゃねーか、日吉。お前が部長だったか?」
「お久しぶりです。俺が部長ですよ」
「そうかよ、そいつはご苦労なこったな」
フッと、跡部は笑みを漏らす。その顔つきはやはりいつもの自信に満ちていて、この氷帝学園において一年で部長の座に就く者の実力は違うのだと思い知らされる。
日吉は、去年は良かったとつい思ってしまった。
決して疲れているわけではない。疲れているかもしれないが、そういった疲労感の類ではないように思う。
時を戻せるなら、と本気で願った。昔は日吉自身、同年代の子供が魔法やそういった不思議な力を信じていたのを見て、心の中で馬鹿にしたのを覚えている。
今ではもう馬鹿に出来ない、と日吉は少し自嘲した。
昔は良かった、何て思うようではまるで年寄りみたいだ、と日吉は思う。過去の事を振り返っても仕方が無い、と人は良く言うがそれはただ自分が未来に希望を抱いているような感覚に陥らせるだけの行為であり、所詮誰もが思っている事なのだ。
過去に戻りたくない人間が居るとすれば、それは幸せを微塵も知らない人間であり、有意義さを感じたことない人間だ。
日吉は思う。もしくは早く時を進めてしまいたい、と。
自分達が高等部に上がれば、またこの先輩達とテニスが出来るのだ。決して親離れ出来ない子供とは違う。甘えではなく、挑戦なのだ。
自分達が高等部に上がってしまえば、本当にこの氷帝学園中等部の男子テニス部はどうなるか分からないが、今の跡部や日吉たちの世代が全てではない。今までの先代の人間の功績もあるからこそ、氷帝学園のテニス部は有名になったのだろう。今の二年や一年ももしかすれば才能の花を開花させる時が来るかもしれない。
それでも、日吉は跡部達に対する挑戦者でありたかった。
それが日吉の下剋上なのだから。
日吉はため息をつく。
「何だよ若ため息なんてついてんじゃねーよ」
「…すいません」
宍戸が日吉を小突く。その感覚も、皆で騒ぎあった時を思い出させる。
「若お前あれだろ、部長だからって息張りすぎてんじゃねーの?」
「そんな事無いですよ」
「ハッどうだかな、そのクソ真面目な馬鹿は変な事に気ぃ使いすぎじゃねーのか?」
「それどういう意味ですか跡部さん」
「そのまんまだろーが、その固い頭で考えろ」
「………」
「分かんねーなら仕方ねーな、岳人、今日も大丈夫なんだろーな」
「ああ」
「何がですか?」
「来い、日吉」
ついて来い、と跡部は翻り、部室の外に出る。日吉はその後に慌てて続く。すると他のメンバーもついて来た。
跡部は歩を進める。着いた先は人目につかない今ではほとんど使われていない旧グラウンドで、日吉もこんな所がある、と小耳に挟んだ程度で来た事はなかった。
「これを見てみろ」
日吉は目の前に広がる光景に驚嘆した。
ライトも何も無いから辺りは真っ暗で、運動するにはあまり適切ではないこの場所。
そこで、テニス部の部員達が懸命にそれぞれ未だに練習に励んでいた。遅くまで残っている日吉が帰ろうとする時間まで。
帰りに通ったりもしない場所で、日吉も気付きはしないし、日吉は部員達が帰って行くのを見ていたはずだった。
「お前ら…何、してんだ…」
一年の一人がそれに答える。
「俺達、部活終わってから一旦帰って、もっかい着替えてから練習してたんです。日吉部長は遅くまで残ってるから見つからないようにここで。鳳先輩とかに色々指導してもらって、たまに高一の皆さんにも来てもらって…」
「何で、黙ってる必要がある?」
「日吉部長は俺達の実力とか心配してたじゃないですか、それで、俺達も去年の試合とか見てて頑張らないとって思ったんです。でも日吉部長には後でビックリしてもらいたいっていう、別にドッキリとかじゃないんですけど」
日吉は口から言葉が出なかった。
そしてすぐに自分を恥じた。後輩や他の同級生を見放したような考えを起こしていた自分の傲慢さに気付く。
嬉しいはずなのに、胸が熱くなり、目頭に何かが溜まる。それに気付いた長太郎がくすっと笑った。
「日吉そんなに嬉しかったんだね!泣いちゃって」
「馬鹿鳳!泣いてなんかねぇよ!お前の方が泣き虫だろうがすぐにグスグス…」
「なんだよ若またかよ、関東大会の時も泣いてたしよ」
「日吉もなんだかんだ言ってまだまだガキだな」
そんな跡部の言葉さえも嬉しかった。まるで何かの感動ものの映画の中心にいるような気分になれた。
周りを全国大会を共にした仲間達が囲んでくれる。
日吉は声を上げて練習している部員達に言った。
「お前ら、絶対今年は全国制覇するからな!」
部員達から気合の入ったオー!という掛け声が聞こえた。日吉の胸がまた熱くなった。
* * *
「いや、本当感動したぜクソクソ日吉かっこつけてんじゃねーよ」
「別にかっこつけてません」
その後、まだ練習すると言う部員達を残して部室で旧レギュラー達は談笑をしていた。
日吉がある事に気付く。
「そういえば、忍足さんと芥川さんはどうしたんですか?さっきまで居たのに」
「知らねーよ、ジローはどっかで寝てんじゃねーの?侑士はさっき何か携帯で電話しててそのままどっか行っちまうし」
「そうですか」
「どうでもいいけどよ、日吉今日お前んち行かせろよ」
「はぁ?」
「いいだろ、ノリだよノリ。宍戸にも跡部にもOK取ったし、二年…じゃねーな三年の二人も来んだろ」
「ていうかどう言ったって来るつもりなんでしょう」
「良く分かってんじゃん」
* * *
「よっす、忍足クン」
「千石か」
忍足は千石に会っていた。そこは安っぽいネオンの光るホテル街であり、千石の居場所。
千石は休日に誰かと遊びに行くようなノリで手を振って挨拶をする。忍足も全くと言って良いほどホテル街、という場所に動揺したりはしない。
周りを見れば、男女のカップルがこれでもかと言うほど歩いていて、酔った連れも少なくはない。そしてその大半がホテルから出てきたカップルだったり、入ったりするカップルだったりだ。
千石は忍足にある説明を始める。
「簡単だよ、客を募って、引っ掛かった客の接待をして、お金をもらうだけ」
「ホンマやな、別に俺は今からでも構へんけど」
「女は大丈夫?」
「平気や」
「男は?」
「別に平気や」
「そっか、ならオッケイ」
「せやけど、男に抱かれんのはあんま好かへんで。抱かれる経験はあらへんし、俺が声出しとっても自分でもキモイ思うからなぁ」
「りょーかいりょーかい。大丈夫、男でもさ、抱いてくれって人いんだよねーそういう人には軽くSMっぽく行った方が良いかも」
「おおきにな」
忍足は千石の紹介で一人の男に会った。同時に千石も別の男の客を連れてきた。千石はその客に連絡する前、その客の性的嗜好などを忍足に教えた。
ダブルデート、と言うわけでもないが同じホテルに入っていく。
それぞれの部屋に分かれる際、千石と忍足は軽く挨拶を交わした。
「じゃ、またね」と言って部屋に入る千石は酷く扇情的な表情で、客が男も女も沢山付いているという理由が分かった。
そして忍足も部屋に入る。
嵌れ嵌れ、この奥深い沼へ、出られなくなる。永遠に眠れるから。