例え傷の舐めあいだったとしても
それとも傷の抉り合いだったとしても
それでも構わない
僕に触れて
君に触れさせて
「気持ち悪い…」
千石はベッドに寝転がり、天井を仰ぎながら呟いた。部屋の端から、客である男がシャワーを浴びている音が妙に生々しく聞こえる。キュッと、シャワーの栓を閉じる音が聞こえ、千石は目を閉じ、近づいてくるいつもの時を今か今かと待った。シャワー室のドアが音を立てて開くと男がスリッパを履きパタパタと音を立てながら歩いてきた。
男は千石の寝転がるベッドの端に腰掛けると、ボタンが中途半端に開かれたシャツの隙間から千石の肌へと手を伸ばす。男の手は、乾いた部分と今だシャワーの余韻で湿っている部分とで生暖かい温度を保っていた。その手は千石の肌をゆっくりとなぞって行く。
千石の喉の奥から熱い息が漏れる。少し眉根を寄せ、顔をしかめる。
千石が抵抗する事はない。ただ、声を我慢しながら男の愛撫を受けていた。次第に息の感覚は狭まり、千石の顔が上気する。
男が器用に千石のシャツのボタンを外していく。新たに露わになる肌に更に手を滑らせると、千石が小さく高い声を上げた。男は千石の上半身に顔を近づけると、舌でその肌をなぞった。それと共に千石は足を小刻みに震わせた。
「勃った?」
「言わ、ないで…よ」
男は千石の上に覆いかぶさる。男が千石の耳朶を甘噛みすると千石は「んっ…」と声を漏らす。男は首筋をスーッと舐める。
千石の肩がビクッと震え、足がこらえる様に震えていた。男は千石のズボンに手を伸ばす。ベルトを外し、中途半端な位置まで下げる。
「ひあぅっ!」
今までとは打って変わって力強く乱暴にそれを握ると、千石が思わず声を上げた。男はそれに満足したのか力を入れて扱く。千石も声を抑えようとはしない。
「ひぃあっ、やっ、やめっ…うぁっ」
「出そう?」
「で、でるっ、いたっ、い!」
千石が絶頂に達しそうな瞬間、男はいきなり力を弱めてかするような弱い愛撫へと変える。千石は乗ろうとした勢いを止められ、疼いている熱を噴出することは叶わなかった。男の指が先端を掠めるたびに千石の体を逆流するような熱い血が流れる。しかし、それは度々不発に終わる。
男はただ慈しむように早く、早くと存在を主張するそれを撫でるだけでそれが求めている力を与える事はない。口に少しだけ含むと、千石は上ずった声を上げる。
「んぅあっ!」
「もう限界なんでしょ?」
「早、く…して」
「良いよ、イっても」
そう言うと男は手に力を入れる。その反動で、千石は力が抜けていくような感覚を感じた。白濁色のそれはシーツを汚した。もはや一糸も身に纏わずに繋がる彼らの体に粘着し、肌と肌とが離れるたびにその間を糸が引いた。そして、ぷつんと切れる。
* * *
「気持ち悪い…」
先ほども言った言葉をもう一度口にする。洗面所の限界まで栓を開いた水道からは一気に水が流れ出る。
千石は俯いていた顔を上げて鏡の中の千石自身と顔を合わせる。
男はベッドで眠っていた。千石は水道からの水で手を執拗に洗った。それから顔を洗う。
「消えない…」
この慣れたようで慣れない場所が嫌いだった。千石自身、自分の居場所がここだという事は十重に理解していた。否、そう思うしかなかった。
あの女が普通に生きていればこうはならなかった、こんな所に来る必要も無かった、と思った。千石は鏡に映る自分の瞳をジッと見た。
その双眸は獣のようにギラギラとしていて、それでいて生気はなく『憎しみ』というプログラムによって動く機械人形のようだった。ただ、その瞳だけが獣欲、劣情に満ち満ちていた。
「どうせ、殺すんだ…いつかは…殺すんだ、殺してやる…」
* * *
「どんなんがお望みなんでっしゃろか?」
「抱いて。俺の事ぐちゃくちゃにしてくれて構わないから」
「さいですか」
「何で敬語使うの」
「貴方の方が年上でいらっしゃるやろ、それに大切なお客さんなんやし」
「お客さん、ね」
目の前に居る男は明らかに忍足よりも年下に見える。忍足が元々大人びた顔つきをしている事も相まってなおさらである。それでも年上のこの男はただ、抱いて、と忍足に要求した。忍足はどう扱ったものか、と思う。
男は場に似合わないようなくりっとした大きな目で忍足を見る。忍足は男に言う。
「痛くてもええんでしょうか?」
「いいよ。寧ろ痛くして」
「かしこまりました」
特徴的なイントネーションで話す忍足の敬語は艶があった。
男の髪を掴むと、そのままベッドに押し付けた。男が痛そうに顔を歪めるがそれには構わず忍足は男のネクタイで男の手首を縛り上げる。恐らく紅い跡が残るであろうほどに強く縛った。忍足はベッドに倒れこみ、懇願するような目で見上げてくる男を一瞥した。そして男の衣類を剥ぎ、一糸纏わぬ格好にさせる。
そのまま忍足は男に何もすることなく椅子に腰掛けて足を組んだ。男はじっと忍足を見る。
「そのいやらしい格好ここで見たってあげますわ、そん位マゾゆうんやったらそれだけでイけるんとちゃいます?ほらもう反応してますで」
男は顔を真っ赤にさせ、視線を逸らす。それでもチラチラと忍足の方に視線を送る。次の忍足の行動を待っているのだ。
忍足は一々自分のする事に過敏に反応を示すこの男が面白かった。自分に対して期待をするのが愉快だった。
「何なんです?こっち向いとっても黙ってるやけやったら何すればええんか俺も分かりまへんで」
「触って…」
「それですか?俺が?」
「お願い…」
「嫌ですわ、これ位しか出来ひんわ」
忍足は足で男のそれを踏みにじるように刺激する。その度に嬉しそうに声を上げる男が醜く見えた。こんな事で自分の欲望がさらさらと口から流れるように出てくるこの男が
嫌だった。
「んぅ、あっ…足、良いよ…!」
忍足は失望した。
所詮この男も同じなのだと。自分に求めている物はたいした物じゃない。そしてそれは自分自身で無くとも誰でも、忍足よりも遥かに下等な存在であってもいくらでも勤められるであろう物で。それをどうして自分がやらなくてはいけないのか、忍足はそう思う。結局他の人間と変わらないこの男がとてつもなく醜く、卑下て見えた。自然と男を嬲る足に力が入る。それが例え男を悦ばせる事だったとしても、この吐き出し口のない思いをこうして誰かにぶつけたかった。それを汲み取る人間は居ないけれど。
* * *
「ご苦労様ー、忍足クン」
「ホンマ、苦労してんねやな千石も」
「んー、まー慣れればなんて事ないよー。別にどうでもいいしこんなの」
「さいか、せや千石これさっきの金」
「え?」
「金が要るんやろ?俺は別に要らへんから」
「そっかー、じゃあそれは忍足クンが病院に持って行って。入院代」
「そういう事かいな。分かった」
忍足と千石はホテル街から抜けて夜の町並みを歩いていた。人通りは多く、様々な人間がいた。水商売から高校生、様々だった。
店のショウウィンドウはライトで照らされ、明るく輝いている。そこをブラブラと歩くだけ。
忍足がある店の前で足を止めた。その店は他の店と比べて派手に飾り付けをしていなかった。町行く人々の目にはあまり留まっていない店でありながら、どこか一際異色を放っていた。
その店のショウウィンドウにはいくつかの人形が飾ってあった。
年季は入ってはいたが、保存状態も良く綺麗な顔をしている恐らくフランス人形のようだった。
その中で忍足が目を留めたのは端に座っている一体の人形。
綺麗な蒼い眼をしていた。その瞳には一寸の穢れもなく、何処か一点だけを見つめていた。視線の先は他のものと違ってまるで世に視線を逸らすかのように違う一点だけを見つめていた。
「綺麗やなぁ」
忍足はそう呟いた。
いっそ閉じ込めてしまえば、その一点は自分の方に向くのだろうか