「忍足先輩、ですか…?」
「ああ、そうだ、あの野郎。今大学どうしてる?」
最初に言葉を発しているのは日吉若、今では大学一年生だ。そしてそれに応答しているのは宍戸亮。
あるデパートのファミレスの大人数が座れる席に彼らは座っていて、その周りには向日岳人、芥川慈郎を始めとする元氷帝学園男子テニス部レギュラーが揃っていた。皆紅茶やコーヒーなどの簡単な飲み物を頼んでいる。が、それはとりあえずに過ぎない。その場に元部長、跡部景吾と実質ナンバー2の忍足侑士の姿は無い。皆真剣な表情で話し合いをしていた。彼らは氷帝に大学部があるとはいえ、バラバラになっていたのでこれまでこうして集まる事は多々あった。その度に他愛の無い話をしたり、誰かの家で騒いだりという事だった。ただ、今日は違う。皆真剣そのものだ。それは何かに取り組むときに真剣になる、そのような類とは異なった。全員が辛そうな、感情を抑えるような表情だ。あの日と同じ。
「日吉、お前忍足と大学同じところだったよな?学部と学年が違うっつっても噂くらいは分かんだろ」
「ええ。医学部の先生にも聞いてみました」
「なんって言ってた?」
日吉が息を飲み込む。その緊張した面持ちが緊張感を他の者にも伝えた。
日吉は、いつものしっかりと、淡々とした口調を保とうとした。しかし、その声が震えている事は誰にも分かった。
「それが…二ヶ月前、あの日から無断欠席だそうで…」
「はぁ!?どういう事だよ侑士のやつ!」
「俺も変だとは思いました。いつもは俺をみかけるとからかってきたりするんです。結構しょっちゅうだったりして、でもいきなりパッタリ…」
「休学とかにはなってないの日吉?」
「ああ、無断欠席、何の音沙汰もない。教師陣としては普通の生徒なら退学も否めないがなんせ優秀だったから、ということだ」
それからしばらく誰もが何も言わなかった。沈黙が流れる。それは決して気まずい沈黙とは違った。皆が心の中で感情や思考が流れ、それをお互いに伝え合っているのだ。長年様々な困難を乗り越えてきた仲間同士、考えている事は同じだった。それでもそれをあえて口に出すものはおらず、暗黙の了解と化す。
あの日から、忍足の家を訪れた者は居ない。否、それは御幣であろう。始めの内は何回か行った。だが、それに何の効果もなく、行くと何の反応も返ってこないか、「今ちょっと出られへんねや、ごめんな…」と聞こえるか聞こえないかの声で返ってくるのだ。
その沈黙の中、ふとファミレスの外、デパートの中の楽器屋に視線を向けた長太郎が何かに気づき、いきなり声を発した。
「忍足さんと跡部さん!」
「何!?」
「待て!長太郎!」
走り出そうとする長太郎を咄嗟に止めたのは慈郎であった。その目はいつもと違いしっかりとまっすぐに長太郎に向けられていた。
長太郎は抗議しようとするが、予想外の慈郎の力の強さに振り切れない。
「ジローさん!なんで…」
「もう、駄目だよ。二人に触れちゃ。忍足だって、目が生きてるでしょ?だから、もう駄目なんだ」
「でもよ、跡部は二ヶ月前に…」
「がっくん。それもね、…駄目なんだよ、もう」
皆、慈郎の言いたい事が伝わったのか、自分なりに何かを感じ取ったのかそれは定かではないが、おとなしく席に着いた。
「人はね、一人で生きられないんじゃないんだって。誰かに縋っていかないと生きられないんだって。外側から触れられる事は嫌いなくせに内側の接触を無くしちゃうと寂しくて死んじゃうんだって。俺はよく分かんないけどね。その無くしちゃった物が戻ってくると水をあげた花みたいに元に戻る。それの繰り返して人は生きていけるんだって。でもね、駄目なんだよ。一回無くなっちゃった物が大切すぎると、駄目なんだ」
(君達は楽園への道と破滅への道をどっちも渡ってる。僕達は見ている事しかできない、ここで足掻くだけ)
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